話の屑籠

菊池寛


この作品は、菊池寛が「文藝春秋」に連載した自らの生い立ちの記です。

昭和三年五月から昭和四年十二月までの毎月計十八回の連載で一応作品としては終了していますが、戦後、その時期の回顧も含め二章を追加しています。菊池寛の生涯を知るための数少ない作品のひとつです。

なお、この作品には、章ごとにタイトルが付いてないので、かわりに執筆年月を記載しました。参考のため、本文中から最初の一文を抜きだして付加してあります。


  1. 昭和六年八月

    早慶戦第一回に、男の子を連れ、見物に行く。...

  2. 昭和六年九月

    東京朝日の女性相談という欄に、先日一人の女性が相談を持ち込んで曰く、...

  3. 昭和六年十月

    大衆文芸は、維新時代を書き荒してしまった。...

  4. 昭和六年十一月

    正宗白鳥氏が「改造」十月号で、「南国太平記」のことをけなしておられる。...

  5. 昭和六年十二月

    土肥慶蔵博士が死んだ。...

  6. 昭和七年一月

    「文藝春秋」創刊以来十年の月日は、短くまた長く感ぜられる。...

  7. 昭和七年二月

    自分は、人にはどう思われているか知らないが、自分の書くものに対して、あまり自信のない方である。...

  8. 昭和七年三月

    井上前蔵相の死は、最も悲しむべきことである。...

  9. 昭和七年四月

    また小学教科書の接木の話のことを書くのは、くどいようであるが、あの接木の話の起源が分かったので、ちょっと書いておく。...

  10. 昭和七年五月

    自分が「話の屑籠」に書いた文章について、鳩山文相がわざわざ手紙をくれた。...

  11. 昭和七年六月

    先頃、円タクに乗って、二重橋前を走っていた。...

  12. 昭和七年七月

    拳国一致内閣ができてみても、顔触れの貧弱なのに、誰も失望しただろうと思う。...

  13. 昭和七年八月

    今にも、何らかの形式で社会的な変革でも来るように、怯えている人が多いが、自分などはそう急に来るものではないと思っている。...

  14. 昭和七年十月

    これは、先月号に書くつもりでいたのだが、二、三カ月前に、東京朝日の学芸欄に出た松岡譲氏の「ホラ信の功績」とかいう文章はたいへん面白かった。...

  15. 昭和七年十一月

    ロシアヘ行くについて、何もたいした目的もない。...

  16. 昭和七年十二月

    ゴールズワージーが、ノーベル賞を得た。...

  17. 昭和八年一月

    最近女性に関する問題で、世間をさわがしているのは、鳥潟博士の令嬢の事件と、中野フェリシタ夫人の事件と二つである。...

  18. 昭和八年二月

    正月三日から、スキーに行くという子供に強いられて草津温泉に行った。...

  19. 昭和八年三月

    共産党の検挙が、次々に行われるのはいいが、その発生を予防する政治的社会的施設が少しも行われないのはどういうわけであろうか。...

  20. 昭和八年四月

    改正された小学読本の批評をしたが、それについて文部当局で、何とか返事してもいいと思うが、議会の政府委員と同じように、頬かむり主義的にだまっておられるのは、どういうわけであろうか。...

  21. 昭和八年五月

    自分は、この頃小鳥を飼っている。...

  22. 昭和八年六月

    ドイツにおけるヒットラー内閣の文芸に対する弾圧は、嘆かわしきものの一つである。...

  23. 昭和八年七月

    共産党の巨頭たちが、日本民族の優秀性を認める点において、転向したことが新聞に出ている。...

  24. 昭和八年八月

    共産党巨頭の転向、河上博士隠退声明などで、為政当局が、ほくそ笑んで能事終れりとしていたならば、はなはだ危険である。...

  25. 昭和八年九月

    五・一五事件の被告たちの心境は、維新志士のそれに比して、さらに純粋悲壮なるものがある。...

  26. 昭和八年十月

    父や母が、子供を幾人もわが手にかけて、親子心中をする。...

  27. 昭和八年十一月

    現代において、言論が極度に圧迫されているようであるが、しかし日本に憲法があって、言論の自由が保証されている以上、むやみに圧迫されるわけはないと思う。...

  28. 昭和八年十二月

    新渡戸博士が、海外において客死された。...

  29. 昭和九年一月

    自分は、ちょうど五十くらいで死にたいと思っている。。...

  30. 昭和九年二月

    昨年の暮れ池谷君が死んだ。身近の友人が亡くなるのは、芥川以来初めてである。年は、まだ三十四だった。...

  31. 昭和九年三月

    直木の肝煎りで、松本警保局長と我々とが会って話をした。...

  32. 昭和九年四月

    武藤山治氏が殺されたのは気の毒である。...

  33. 昭和九年五月

    直木、佐々木、池谷と三人の全集が出ることになった。...

  34. 昭和九年六月

    直木の全集の講演に行ったついでに、久しぶりに郷里高松に帰った。...

  35. 昭和九年七月

    東郷大将の死について、考えることだが、古来救国の大業をなした英雄偉人必ずしも少なくはない。...

  36. 昭和九年八月

    内閣が変った。新首相は、我々に馴染みのうすい人である。...

  37. 昭和九年九月

    この数年来、新聞雑誌の言論が微温的で、あらゆる人が、ほんとうにいいたいことをいい得ないで、顧みて他をいう人が多いのは、情ないことである。...

  38. 昭和九年十月

    「芥川龍之介全集」が今度廉価本として売り出されることになった。。...

  39. 昭和九年十一月

    先月末、社の講演旅行で、盛岡、仙台へ行ったついでに、初めて平泉を見た。...

  40. 昭和九年十二月

    文部省で主催する「帝展」には、文士を招待しないのに、陸軍省でやる今度の大演習に我々にも見ないかと勧誘してくれた。...

  41. 昭和十年一月

    本誌も、今年で創刊以来、足かけ十三年目である。その間、多少の隆衰はあったが、まず立派に面目を維持して、日本の文化にも思想界にも多少の貢献をしてきたと思う。...

  42. 昭和十年二月

    帝人事件ぐらい、いやな疑獄事件はない。官吏の収賄もとよりにくむべし。...

  43. 昭和十年三月

    脚本研究会の規定は、別項に発表した通りだ。...

  44. 昭和十年四月

    坪内逍遥博士が死んだ。...

  45. 昭和十年五月

    「思ふこと云はでやただに止みぬべきわれと同じき人しなければ」というのは、たしか在五中将が時世を慨しての歌である。...

  46. 昭和十年六月

    小原法相の訓示と警視庁の暴力団検挙とは、近来の快事である。ことに我々は最近に被害者であるだけに、その感がふかい。...

  47. 昭和十年七月

    帝展改組問題が行き悩んでいる。...

  48. 昭和十年八月

    三上於菟吉君が、サイレン社という出版書店を始めて、「青空無限城」という大衆小説と「随筆わが漂泊」というのを出している。...

  49. 昭和十年九月

    この頃、文芸統制ということがいろいろいわれているが、すべて風声鶴唳(ふうせいかくれい)であっておかしいと思う。...

  50. 昭和十年十月

    芥川賞の石川君は、十二分の好評で、我々としても満足である。...

  51. 昭和十年十一月

    千葉亀雄氏が、とうとう死んでしまった。...

  52. 昭和十年十二月

    文芸懇話会の世話で、奈良の正倉院を拝観することができた。...

  53. 昭和十一年一月

    今度、映画協会というものができて、僕もその理事の一人になった。官民合同の企てである。...

  54. 昭和十一年二月

    総選挙が最近に行われることになった。...

  55. 昭和十一年三月

    第一回芥川賞の石川君は、大変な成功で、正月号に載った「深海魚」もまず好評であったし、同君の文壇的位置は、確立したといってもよい。...

  56. 昭和十一年四月

    二月二十六日の事件は、大震災と同じくらいのショックを受けた。...

  57. 昭和十一年五月

    四月十日の「国民」のタ刊で、津村秀松氏が「時局の認識」と題し、言論報道の自由を束縛し、国民にいろいろなことを知らしめないでおいて、非常時局を認識せよというのは、無理だといったのは、至言だと思って感心した。...

  58. 昭和十一年六月

    先月号の「話の屑籠」に書いたことを、林房雄君が、激語だといっていたのは、はなはだ意外であった。...

  59. 昭和十一年八月

    今年は、我々が暗澹とした日が、二日あった。国家のいかなる革新も、一人の犠牲なくして行いたいものである。...

  60. 昭和十一年九月

    芥川賞は別項の発表の通りである。...

  61. 昭和十一年十月

    スペインの動乱を見るにつけても、挙国一致ということが、いかに必要であるかということが分かる。...

  62. 昭和十一年十一月

    軍備の拡充と増税だけが、現内閣の使命なのだろうか。...

  63. 昭和十一年十二月

    議会政治が、凋落の秋に当って、壮麗なる議事堂が竣功した。...

  64. 昭和十二年一月

    煙草値上げのために、我々のポケットは、銅貨の多いのに悩まされている...

  65. 昭和十二年二月

    時事新報が解散したことは、新聞雑誌界における一つの悲劇だ。...

  66. 昭和十二年三月

    国家の革新とか庶政一新などということは、それを行おうという熱意だけでは、うまく行くものではない。...

  67. 昭和十二年四月

    僕が文芸会館の建設に怠けているような漫画が、ある新聞の学芸欄に出た。...

  68. 昭和十二年五月

    今度の総選挙くらい、はっきりした名分のない選挙はないだろう。...

  69. 昭和十二年六月

    今度の総選挙の結果、政民両党が大多数を占めたからといって、それが必ずしも、反政府的な現象だとは思えない。...

  70. 昭和十二年七月

    近衛内閣の出現は、近来暗鬱な気持になっていた我々インテリ階級に、ある程度の明るさを与えてくれたことは、確かである。少なくとも、日本においての最初のインテリ首相である。...

  71. 昭和十二年八月

    ひいき目で見るわけでもないが、近衛内閣の政治は、従来の内閣に比し、大衆的であり、文化的であり、合理的である。...

  72. 昭和十二年九月

    北支において、日支が戦端を開いたことは遺憾である。...

  73. 昭和十二年十月

    支那事変について、いろいろな武勇談が伝えられて来るが、現代の戦争における武勇は、戦国時代の武勇に比べては、五倍か十倍くらいの勇気を要するのではないかと思われる。...

  74. 昭和十二年十一月

    多年の国威回復の運動に邁進して来た支那が、一朝大勢の観測を誤りて、必敗の戦端を開いて、多年の努力を水泡に帰せしめたことは、あわれである。...

  75. 昭和十二年十二月

    自由主義者として、ある筋から睨まれていたかも知れない清沢冽君が、パリで、大いに日本の立場を弁明しているという電報が来ていた。...

  76. 昭和十三年一月

    本誌十二月号に載った支那の大公報の記者長江の「察南敗退記」は、従軍紀行としては、出色の文字で、敗軍の悲惨な光景が、よく描かれていた。日本側のいかなる従軍記よりも、面白かった。...

  77. 昭和十三年二月

    事変勃発当時、我々は生活やその他の点において、いろいろ不自由を忍ぶ覚悟をしていたが、事変開始後すでに半年になるが、事変から来る影響など、ほとんど感じられない。...

  78. 昭和十三年三月

    別項に予告があると思うが、四月号から、本誌に外国語の、大きくいえば海外版といいたい付録を付けることとした。...

  79. 昭和十三年四月

    戦争が、いつ終るかということを問題にしている人が多い。...

  80. 昭和十三年五月

    日本が過去のあらゆる難局を巧みに切りぬけたように、今度の支那事変も、最初憂慮されたような悪事は起らず、所期の通り進展するのではないかと思われて来た。ただ、今後の中支、北支の経営に人材がないことが、大きい悩みであろう。...

  81. 昭和十三年六月

    この頃の文壇は、量的にはかなり盛んなように見えるが、質的には不振を極めているようだ。...

  82. 昭和十三年七月

    非常時に、学生が課業を休んで、麻雀をやったり、喫茶店へ行ったりするのは、いけないことである。...

  83. 昭和十三年八月

    先月、生方敏郎氏が記念展覧会をやるから、色紙を書いてくれというので、三、四枚書いて送ったところが、それが新宿の三越で展覧された。...

  84. 昭和十三年九月

    いよいよ紙の統制が始まるらしい。...

  85. 昭和十三年十月

    内閣情報部の世話で、我々作家が従軍することになったのは、新聞紙上で御承知のことと思う。...

  86. 昭和十三年十一月

    南京は、ずいぶん戦禍を被っている。...

  87. 昭和十三年十二月

    講談社の野間清治氏が死んだ。野間氏は、明治大正以来、日本の雑誌出版における偉人である。...

  88. 昭和十四年一月

    現代の日本は、国際的にも国内的にも明治維新の時などよりも、もっと重大な時勢の波に乗っていると思う。...

  89. 昭和十四年二月

    近衛さんが、首相をよしたことは、近衛さんの健康や気持の上で、やむを得なかったことだろうと思う。...

  90. 昭和十四年三月

    この前、従軍から帰って以来、再び支那へ行こうなどとは夢にも考えていなかったが、世の中のことは分からないもので、再度渡支、上海、南京、武漢の地を見て来た。...

  91. 昭和十四年四月

    米国が、故斎藤大使の遺骸を、巡洋艦アストリア号で送還するというニュースは、ややもすれば険悪化せんとする日米関係に、一陣の春風を吹き送った思いがする。...

  92. 昭和十四年五月

    アメリカのハル国務長官の談話を読むと、世界の強国を全体主義国家と民主的国家との二つに分け、日本を前者に入れてあるが、おかしいと思う。...

  93. 昭和十四年六月

    左翼が盛んであった時、彼らはずいぶん新しい言葉を使った。この数年来、右翼や日本主義が盛んになると共に、また新しい言葉が使われる。...

  94. 昭和十四年七月

    同郷の先輩三木武吉氏が、報知の社長になった。...

  95. 昭和十四年八月

    ある所から、金を売りに来てくれとの勧誘を受けたが、自分は金は少しも持っていなかった。...

  96. 昭和十四年九月

    報知新聞に出ていたが、本庄繁大将の談話に「自分のように、傷病兵保護に専心している者の所へも、送られて来る雑誌印刷物の多いのには驚く」というようなことを話しておられた。...

  97. 昭和十四年十月

    欧州第一次大戦が勃発したのは、僕たちの青年時代であるだけに、その印象は今もなお、まざまざと残っている。...

  98. 昭和十四年十一月

    欧州大戦における情勢の推移は、誰人にも深い関心の種であろう。...

  99. 昭和十四年十二月

    日本における現代の悩みは、首相級の人物の種切れであろう。...

       
  100. 昭和十五年一月    

    永田秀次郎氏が、鉄道大臣になったのはいい。...

           
  101. 昭和十五年二月    

    議会の権威が失墜したといわれているのに、有志代議士の決議で、時の内閣に致命傷を与えたということは、我々には不思議な気がした。...

           
  102. 昭和十五年三月    

    芥川賞は、別項のごとく決った。ほとんど全委員の一致するところであった。...

           
  103. 昭和十五年四月    

    戦争中における国論の一致ということは、最も必要なことであろう。...

           
  104. 昭和十五年五月    

    東京市長の選挙が、ごたごたするので、醜体だと思われているかも知れぬ。...

           
  105. 昭和十五年六月    

    僕は戦時中日本の内閣がたびたび変ることについて、遺憾の意を述べていたが、新しく帰還した中野実君の感想にも、それが支那側および前線の皇軍兵士に悪影響のあることを嗟嘆していた。...

           
  106. 昭和十五年七月    

    世界は、まさに戦国時代だ。...

           
  107. 昭和十五年八月    

    近衛さん中心の新党あるいは新体制組織がまさに実現しかけている。...

           
  108. 昭和十五年九月    

    今、文芸銃後運動講演会のために、朝鮮へ来ている。...

           
  109. 昭和十五年十月    

    前月号に書いた朝鮮における「文芸銃後講演」の後、引きつづき満州国を回って、ハルビン、新京、撫順、奉天、大連と講演して歩いた。...

           
  110. 昭和十五年十一月    

    この頃、「物語支那史大系」という本を読んでいるが、例の「三国志」「漢楚軍談」を始め、支那歴朝の興亡を書いた軍談を集めた本だ。...

           
  111. 昭和十五年十二月    

    僕も、紀元二千六百年奉祝の式典に参列する光栄に浴したが、式場の急造のベンチに腰かけて、大内山の空を見上げると、見波すかぎり晴れ渡って、一点の微雲もない。二日ともそうであった。...

  112. 昭和十五年一月

    永田秀次郎氏が、鉄道大臣になったのはいい。...

  113. 昭和十五年二月

    議会の権威が失墜したといわれているのに、有志代議士の決議で、時の内閣に致命傷を与えたということは、我々には不思議な気がした。...

  114. 昭和十五年三月

    芥川賞は、別項のごとく決った。...

  115. 昭和十五年四月

    戦争中における国論の一致ということは、最も必要なことであろう。...

  116. 昭和十五年五月

    東京市長の選挙が、ごたごたするので、醜体だと思われているかも知れぬ。...

  117. 昭和十五年六月

    僕は戦時中日本の内閣がたびたび変ることについて、遺憾の意を述べていたが、新しく帰還した中野実君の感想にも、それが支那側および前線の皇軍兵士に悪影響のあることを嗟嘆していた。...

  118. 昭和十五年七月

    世界は、まさに戦国時代だ。...

  119. 昭和十五年八月

    近衛さん中心の新党あるいは新体制組織がまさに実現しかけている。...

  120. 昭和十五年九月

    今、文芸銃後運動講演会のために、朝鮮へ来ている。...

  121. 昭和十五年十月

    前月号に書いた朝鮮における「文芸銃後講演」の後、引きつづき満州国を回って、ハルビン、新京、撫順、奉天、大連と講演して歩いた。...

  122. 昭和十五年十一月

    この頃、「物語支那史大系」という本を読んでいるが、例の「三国志」「漢楚軍談」を始め、支那歴朝の興亡を書いた軍談を集めた本だ。...

  123. 昭和十五年十二月

    僕も、紀元二千六百年奉祝の式典に参列する光栄に浴したが、式場の急造のベンチに腰かけて、大内山の空を見上げると、見波すかぎり晴れ渡って、一点の微雲もない。...

  124. 昭和十六年一月

    正倉院の御物の東京においての展観は、いろいろの好影響を与えた。日本がすでに、千余年の昔において、いかに輝かしい文化を持っていたかということは、現代の日本人を鼓舞奨励するだろう。...

  125. 昭和十六年二月

    今度陸軍当局から、「戦陣訓」なるものが発表された。...

  126. 昭和十六年四月

    小学校が、国民学校となった。...

  127. 昭和十六年五月

    ユーゴスラヴィアが一旦ドイツ側に与(くみ)しながら、寝返りを打って、独軍の攻略を受けているのは、我々第三者から見ると、はなはだ愚かしくさえ考えられる。...

  128. 昭和十六年六月

    翼賛会は改組以来、地味にはなったが何となく落着きができてきたのは、いい傾向だと思われるが、翼賛会をしてその大をなさしめるのには、大衆が協力する以上に、各官庁が翼賛会を育て上げる心掛けが必要だと思う。...

  129. 昭和十六年七月

    芸術院の会員の補充があり、島崎、正宗、志賀、山本の四氏が新たに会員になられた。...

  130. 昭和十六年八月

    独ソ開戦に連れて、ヒットラーとナポレオンとが、いよいよ比較されることになった。...

  131. 昭和十六年九月

    現在の時局は、日本にとって未曾有の重大時機であろう。...

  132. 昭和十六年十月

    九月の初め頃の読売新聞に出た安岡正篤氏の時評に、「現代には志士が多いが仁人が少ない」ということが嘆ぜられていた。...

  133. 昭和十六年十一月

    今月の二十五日から行われる翼賛会のみそぎ行に僕も参加するはずだ。...

  134. 昭和十六年十二月

    事変以来、総理大臣はいくたびも変った。こうした非常時局に際して、畏きあたりの日夜の御軫念(しんねん)を拝察して、われら国民は、恐懼(きょうく)に堪えないものを感ぜずにはいられない。...

  135. 昭和十七年一月

    対米交渉の経過の発表を読むと、今さらながら米国の頑冥不霊(がんめいふれい)に驚かざるを得ないものがある。...

  136. 昭和十七年二月

    大東亜戦争の雄渾の作戦が、一糸乱れざる正確さで進捗して行くことは、国民一同の慶福感謝するところである。...

  137. 昭和十七年三月

    自分は、少年時代日本海海戦を聞いたことを、一生を通じての愉快な思い出と考えていたが、最近それにも、劣らない快報であるハワイ、マレーの捷報を聴き、今またシンガポール陥落の快報に接せんとしている。...

  138. 昭和十七年四月

    現在大東亜戦下にあって、国民の志気昂揚に役立っている歌謡の中では、山田美妙の「敵は幾万ありとても」の歌が一頭地を抜いているように思われる。...

  139. 昭和十七年五月

    とあるように、選挙演説だけで判断してはならない。...

  140. 昭和十七年六月

    コレヒドール陥落、ビルマから雲南省へ突入、珊瑚海の大戦と、壮快なるニュースが続いた。...

  141. 昭和十七年七月

    米英的思想の排撃ということが、盛んに叫ばれているが、およそ文学に関する限り、昔から米英的思想の影響など受けたことは、皆無といってよいのである。...

  142. 昭和十七年八月

    国民儀礼が、あらゆる会合で、行われることになったのは、非常に結構であるが、宮城遥拝、英霊および出征将士に対する感謝黙祷以外、もう一つ行事を加えたらどうかと思う。...

  143. 昭和十七年九月

    南洋問題に関する先覚者のことが盛んに書かれているようだが、自分の目に触れた限りでは、志賀重gaiji4のことが忘れられているのではないかと思う。...

  144. 昭和十七年十月

    学割の一大改革が発表されて、修業年限が短縮されたことは、自分は大賛成である。...

  145. 昭和十七年十一月

    「米国侮るべからず」の声が、各方面で叫ばれている。...

  146. 昭和十七年十二月

    大東亜文学者大会は、予期以上の成功を収めた。...

  147. 昭和十八年一月

    大東亜戦争は、第二年目にはいった。...

  148. 昭和十八年二月

    米国が武器の生産を呼号する以上、我々もまた全力を挙げて、これに対抗し得る武器の生産に当るべきであろう。...

  149. 昭和十八年三月

    レンネル島沖海戦の大戦果は、久しぶりに国民を歓喜せしめた。...

  150. 昭和十八年四月

    現在、国民として国家の勝利を祈らぬものは、一人もいないであろう。...

  151. 昭和十八年五月

    空襲は、必至であるといわれている。...

  152. 昭和十八年六月

    歴史というものは、宿命的に決まっているものではない。...

  153. 昭和十八年七月

    山本元帥の戦死とアッツ島の全軍玉砕とはわれわれ日本国民に戦争に対する所存の臍を固めさせた。...

  154. 昭和十八年八月

    青年学徒が滔々として、空へ駆け上らんとする情勢にあることは、頼もしい限りである。...

  155. 昭和十八年九月

    戦争遂行に絶対に必要な物以外は、作らないという企業整備の方針はほとんど結構である。...

  156. 昭和十八年十月

    バドリオの裏切りは、言語道断である。...

  157. 昭和十八年十一月

    アッツ島におけるわが山崎部隊の最後の血戦の有様が米人記者によって描かれている記事を、読売紙上でよんだが、その壮絶さは我々がさもありなんと思う通りで、同方面の米軍の心胆を寒からしめ、敵に深刻な精神的打撃を与えたことが、はっきりした。...

  158. 昭和十八年十二月

    ブーゲンビル島付近の二次にわたる海空戦の大戦果は、世界を震撼したであろう。...

  159. 昭和十九年一月

    早くも、第三回目の十二月八日が回り来った。...

  160. 昭和十九年二月

    戦争が苛烈となると共に、生産増強と並んで、衣食住の節約が、いよいよ大切になってくる。...

  161. 昭和十九年三月

    敵が、マーシャル群島へ来た。...

  162. 昭和十九年五月

    空襲がいつ来るかなどということも、やはり各人が軍事知識があり、戦争情勢に相当の認識があれば、むやみに恐怖したり、また不当に楽観したりしないですむ、と思うのである。...

  163. 昭和十九年六月

    戦争が苛烈になるにつれて、多くの娯楽慰安の機関がなくなり、多くの趣味生活も否定されて来た。...

  164. 昭和十九年七月

    戦争からくる苦痛から逃れたいとか、それを最小期間に止めたいとか願うものは、結局それを別種の、しかも五倍も十倍もの大きいものとして、われら一代のみか、後世子孫の上にも課することを企図するのと同じである。...

  165. 昭和十九年八月

    戦局はいよいよ悽愴苛烈になった。...

  166. 昭和十九年九月

    サイパン島の出来事のごとき、深刻悲壮な事実は、いわゆる言語を絶し鬼神も哭(な)くことであって、あのような時には誰に文章を書かせてみても、喋らせてみても、感想を述べさせてみても、みんな上ずってしまうのである。...

  167. 昭和十九年十月

    臨時議会が、国民にある程度の明朗感を与えたことはたしかである。...

  168. 昭和十九年十二月

    神風特別攻撃隊のことは、筆舌に絶した神聖事だ。...

  169. 昭和二十年二月

    敵は、ついにフィリピンに上陸した。...

  170. 昭和二十年十月

    本誌は従来「右傾せず、左傾せず、中正なる自由主義の立場」を保持していたことは、自分がときどき声明していた通りであるが、この数年来、自由主義という言葉さえ、非国民的であり、非愛国的であり、戦争反対的であるかのごとく解釈されていた。...

  171. 昭和二十年十一月

    戦争中の嘘は、ずいぶん多かったが、防人の歌として、「しこの御楯といでたつ我は」だけを挙げて古(いにしえ)の防人の代表的気象としたごときも、嘘ではないまでも正しくはなかった。...

  172. 昭和二十年十二月

    今度の戦争を始めたのは、ごく少数の軍閥に相違ないが、そうした少数の軍閥に兵馬の権を壟断せしめたことは、国民全体の責任である。...

  173. 昭和二十一年一月

    大東亜戦争の開戦の大詔が発せられた時、(南無三宝(なむさんぽう)!)と思わなかった日本人は、ごく少なかっただろう。...

  174. 其心記・昭和二十一年一月

    自分は、知る人ぞ知る、昔からの産児制限論者である。...

  175. 昭和二十一年二月

    日本が、戦うまじき戦を戦うて、亡国同然の敗戦を喫した原因は、いろいろあるが、その一つの原因は、日本にここ二十年来、人物がいなかったことである。...

  176. 其心記・昭和二十一年二−三月

    総選挙がいよいよ三月末日に施行せらるることになった。...

  177. 昭和二十一年三月

    明治維新以来、日本に来たアメリカ人の中で、最もよく日本および日本人を愛し、日本を理解してくれた人は、生物学者のモースであろう。...

  178. 昭和二十一年四月

    日本の大新聞は、あくまで自由主義的で、公正であることが望ましいと思う。...

  179. 其心記・昭和二十一年四−五月

    文藝春秋社も、今回解散することになった。...


菊池寛アーカイブ