坪内逍遥博士が死んだ。私は、かねてから博士の文学者としての価値をあまり認めることができないでいた。昨年、千葉亀雄氏の「坪内逍遥伝」を読んだ時も(なんだい)と思って、何か書こうと思ったが、隠棲している人の悪口を書いても始まらないと思ってよした。しかし亡くなられた今、一世の轟々たる賛辞をそのままにしておくと、後世の文学史家をして、博士の事業に、時代の人が口を揃えて賛辞を呈したもののように誤解せしめる恐れがあるので、簡単に私の異議を書いておく。
坪内博士は、「小説神髄」で没理想論を説いて、馬琴の小説を例に引いているが、坪内博士の史劇は、理屈っぽくて、概念的な点において馬琴の小説とあまり違っていない。ことに専門史家の間では、その忠貞を疑われている片桐且元が忠臣顔をしているなど、その史眼もいい加減なものである。日本の歌舞伎を改良するために、英国の歌舞伎であるシェイクスピア劇を移植するなど、およそ見当違いである。英国劇やアイルランド劇などを翻案している態度なども、はなはだイージーゴーイングである。
シェイクスピア四十巻の翻訳など、これは博士の道楽に近い。およそ日本の新聞などが、シェイクスピアを無条件に担ぎ上げるなど、英国の評価をそのままに受け売りしているのである。日本人で、シェイクスピアを読んで心から感心した人が幾人あるだろうか。日本の文壇にシェイクスピアの影響がどれだけあるというのだ。ことに、その駄作の末まで全部訳するなど、博士の道楽に過ぎないと思う。シェイクスピアの翻訳などは、難しそうに聞えるが、こんなに注釈書の多い古典は、訳するのが一番やさしいと思う。いつかも、自分がいった通り、シェイクスピアを訳せる人は、日本に五、六百人はいるだろうと思う。もっとも、金と暇があって、こうした仕事に専念できる人は少なかろうが。
僕は、坪内博士の本を読んで感心したのは「妹(いも)と背鏡(せかがみ)」という小説と、イプセンの「野鴨」の解説の二つだ。早稲田大学の大先達として、文学的教育家として、また演劇の奨励者として認められるのは当然であるが、純文学者としては、漱石、鴎外などとは桁違いの人ではないかと思う。学問はあったとしても、どっかディレッタントであり、戯作者的の人であったと思う。文学者として、態度や生活はいくら真面目でも、その捧持していたものは、第一義的なものではなかった。
「改造」の三月号に載っていた坪田譲治君の「お化の世界」という作品は、子供の世界を描いたもので、なかなか面白かった。同君は、文学に志して苦節十年の人であるらしい。これだけのものを書けば、もう少し認められてもいい人だと思う。同じく「改造」の二月、三月に連載された山川菊栄女史の「天狗騒動の話」は、筆者がそれに関係した家筋の人だけに、いろいろ面白い挿話が語られていて、興味が深かった。今後天狗騒動のことを書く人々にとって、見逃すべからざる文献だと思う。
自分は、維新史を絶えず読んでいるが、平野国臣とか田中河内介とか真木和泉とか、天誅組の松本、藤本、吉村とか寺田屋の有馬新七とか、池田屋の宮部鼎蔵とか、慷慨義烈の士が、中道で倒れたために、余りにも報われていないような気がしてならないのだ。維新に際会した連中は、人臣の栄を極め、その不肖の子孫までが、今でも華族として安逸の生活をしている者が多いのに、これらの志士は、その忠魂義胆、維新の元勲たち以上であるとさえ思われるのに、「死ぬ者貧乏」「死んでしまえばそれまでよ」で、その子孫なども埋もれてしまっているようなのは、真に残念である。
(十年四月)
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