帝展改組問題が行き悩んでいる。今までの帝展に情実悪弊があったとしたならば、改組などするよりも、廃止した方がいいと思う。美術などは、それが衰微している時などは、国家が奨励鼓舞する必要があるだろうが、現在のように隆盛を極めている際、国家が官設の展覧会を開く必要がないと思う。施設の展覧会が相当に成功しているのだから、全部私設にした方がいいのだ。そして、ある一部で建議されているように、その私設展覧会について優秀作品を表彰すればいいと思う。
美術などは、思想的分子はごく希であるのに、国家が明治初年から保護奨励しているのは、歴代の政治家たちの書画骨董趣味の現れであって、深い根拠があるとは思われないのである。美術をあんなに奨励するのなら、思想的分子がふかく、国民の道徳生活とも関係の深い文芸をなぜ奨励しないか。帝展の改組などで手を焼くぐらいなら、現在不振を叫ばれている純文学奨励のために、金でも出した方が、いくら文化的意義があるかわからないと思う。
小学校の先生たちの●職事件で、自殺する人数名、神奈川県の同じ事件で自殺する人また数名である。ことに、先生たちの事件は、その後の判決によれば、たいてい執行猶予である。国家は彼らを厳罰することを欲しないのに、彼らはなぜ自殺するのか。私は思うに、彼らを殺すものは新聞紙である。彼らの事件が、新聞紙に書かれなかったならば、彼らも自殺はしなかったであろうと思う。およそ、いくらかでも公職にあるものにとっては、新聞紙に書かれ、その嫌疑なり犯罪なりを、社会公衆の前に晒されることは、致命的な衝撃である。おそらく、国家が与える刑罰以上の制裁であると思う。徳川時代の刑罰に、日本橋において三日晒しなどという処刑があった。現代においては、「新聞紙晒し」という制裁が、いかなる場合にも、付随しているのである。
実に、この「新聞紙晒し」の刑罰は、国家の欲する制裁以外の制裁である。このために、可憐なる小学校職員の幾名かは死んでいるのである。私は、国家が犯罪人に対し、法律で規定する制裁以外の制裁は、与える意味がないならば、「新聞紙晒し」に対し、何らかの制限をしてもらいたいのである。殺人とか強盗とかの重罪以外は、刑事被告人の氏名は、必ず仮名を用いさせるようにしてもらいたいと思う。新聞紙もまた自制して、その無意識の殺人をつつしんでもらいたいものである。実名を用いても仮名を用いても、ニュース・バリューに大した差違のない場合、できるだけ仮名を用いてもらいたいものだと思う。
多磨墓地の直木の記念碑が竣成した。あまり用事のない場所であるが、大方の諸君も、もし何かの折一覧して頂ければ嬉しいと思う。
巌谷小波さんの息子さんが、「大語園」という本を出している。これは、和漢のあらゆる文献にある面白い話を集めたものである。昔から雑書を耽読するのが好きである僕が知らない話などもかなり多いのを見ると、よくも集めたものだと感心した。
亡くなった新渡戸博士のことは、僕には折にふれことにふれて思い出されるが、今度石井満君の博士伝を読んで、さらに感慨深きものがあった。博士のごときは、その功績に比して、認められることのはなはだ薄かった人であると思う。
伝記学会から出ている「伝記」という雑誌は、いつも愛読している。やや玉石混交のきらいもあるが、時にはなかなかいいものがある。五月号、六月号に連載されている千野紫々男という人の幕末の先覚者赤松小三郎の伝記などは、すこぶる面白かった。これによると赤松は上田藩士で、薩藩兵事師範であったが、その議会政治論などは、実に堂々たるものである。ただ皇幕一和を唱えたために、幕府のスパイだという嫌疑で、兵事の弟子である桐野利秋らに暗殺されている。つまり、薩藩の連中は、赤松を暗殺して、赤松から学んだ英国式の戦術で、維新の戦争に勝ち、赤松からヒントを受けた議会政治の方へ日本を導いたということに取れるのである。殺された赤松こそいい面の皮である。しかし、赤松のような不幸な不遇の先覚者や志士は、幾百人でもいたことであろう。
とにかく維新の際に暗殺された連中なども、多くはいい加減な嫌疑で、やられている。姉小路公共卿にしろ、本願寺の松井中務にしろ、勤王家でありながら、わずかの嫌疑で同じ勤王家からやられている。
もっとも、各人が帯剣していた殺伐な世の中だから、仕方がないが、現代も怪しむべき理由で、大臣や実業家がやられるのだから、やり切れない。
(十年七月)
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