三上於菟吉君が、サイレン社という出版書店を始めて、「青空無限城」という大衆小説と「随筆わが漂泊」というのを出している。三上、広津、直木といった三人は、どっかに共通した事業癖があり、しかも計画だけが面白くって、ソロバンに合わないことをやる点においても、よく似ている。しかし、三上君は、今度の出版事業は二回目であるだけに、前回の失敗の後に鑑みて成功してもらいたいと思う。
三上君は、文士中話上手の一人である。あらゆることを、興味中心に面白おかしく話しする人である。私は、たまにしか会わないが、同君の話を聴くことは好きである。従って、その随筆も面白さにおいて、大衆作家中屈指ではないかと思われる。その上、案外物知りである。この間、「朝日」の学芸欄に、フランス文豪(名前はちょっと忘れた)のことを書いているのを読んで、その博識に感心したことがある。それに、同君は大衆小説しか書かないが、その心境は広津、宇野などの僚友と同じく純文学者の心境である。
牧逸馬君の死は、我々にとって、やはり一つのショックであった。同君とは、公開の席上で一度挨拶しただけで、何の交際もなかったが、同業の情その急逝を惜しむものである。同君のような生活態度をとった人は、もっと長生きして、いわゆる鎌倉文士などが老後窮迫してうろうろするところを超然として見下しておるようにならなければ面白くない。今死んだのでは、何といっても、同君の負けである。しかし、同君の死んだので、ジャーナリズムが、作家に無理な仕事をさせなくなるとすれば、我々にとっては、一つの救いである。
佐々木、直木、牧の三人の死によって、大衆文学の分野には、新人の進出すべき大きな間隙ができたわけであるが、しかしあまり目ぼしい人もいないのは、淋しいことである。
僕なども、他人から見れば、原稿を書き過ぎているようだが、案外そうでない。僕は新聞小説を書かないときは、月百枚くらいが限度である。それに数年来、夜中などは一枚も書いたことがない。だから、原稿を書いた過労から死ぬようなことは、絶対にないと思っている。
僕は七、八年前から、五十歳ぐらいで死ぬつもりでいたが、去年と今年にかけて、やむを得ぬ義理で、生命保険の審査を受けると、どこも僕の身体で十五年ないし二十年の契約をするというのである。これでは、あと五年か七年はゆうに生きられるような気がして来た。そうすると、急に命が惜しくなってきて、以前は平気で飛行機に乗れたのが、この頃は乗れなくなって来た。一度決っていた生死の覚悟がそれだけ動揺したわけで、少し困っている。
ユゴーか誰かの五十年祭か何かが催されて、大臣が出て挨拶をしたり、モラエスとか何とかいうポルトガルの文人が急に宣伝されると、その講演会に外相と文相とが出席して挨拶したりする。そのこと自体は、結構なことに違いない。しかし、自国の文学者のこういう記念会に、一度でも大臣が出たことがあるか。日本精神が高調され、日本的であることが主張される現代において、おかしな話ではないか。
「颯爽とハイキング」というスローガンができている。ハイキングを奨励することは大切であるかもしれない。しかし、そのためにこんな蕪雑な語法を宣伝することは大害があると思う。
(十年八月)
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