話の屑籠・昭和十年

芥川賞の石川君は、十二分の好評で、我々としても満足である。そのために、九月号なども売行きが増したのではないかなと思う。賞金その他の費用も十分償っているかも知れないから、社としても、結局得をしたかも知れない。直木賞の川口君も、まず悪口をきかないから、やむを得ない選定として、認めてくれたのだと思っている。


芥川賞、直木賞の発表には、新聞社の各位も招待して、礼を厚うして発表したのであるが、一行も書いてくれない新聞社があったのには、憤慨した。そのくせ、二科の初入選などは、写真付で発表している。いくつもある展覧会の、幾人もある初入選者と、たった一人しかない芥川賞、直木賞とどちらが、社会的にいっても新聞価値があるか。あまりに没分暁漢(わからずや)だと思った。そのくせ文芸懇話会賞の場合は、ちゃんと発表しているのである。

もっとも、新聞社のつもりでは、広告関係のある雑誌社の催しなどは、お提灯記事になる恐れがあるというので出さないのであろうか。広告関係があるという場合は、それだけ親善さがあるというのではないだろうか。あるいはまた、広告関係のある雑誌社の記事などは、金にならない活字は一行も使いたくないというのであろうか。


中央公論社が、五十周年記念号を出すそうである。中央公論が、日本文化ことに文学に寄与した功績はかなり大きいものである。言論機関として、新聞がはなはだ無力になった現在では、雑誌の使命は更に重大さを加えている。この機会に、同誌の発展を祈っておく。


文芸懇話会の授賞態度について、是非の論がすこぶるうるさい。こういう時には、直木が生きていて応酬すべきであったのである。一体、文芸懇話会は直木の肝煎りでできたのであって、最初から色彩があった方がよかったと思う。あまりに、公正を期して、純文学者を会員に入れすぎたのである。とにかく、「国家組織を否定する文学は排斥」というスローガンは、最初から標榜しておくべきであったと思う。しかし、松本学氏が、あの会をやっている気持は、あまり偏武の時代に、文化的方面を振興しようというくらいの程度で、他意ないものだと思う。ただ、官僚だけに、左翼的文学は虫が嫌いなのであろう。もっとも、今までただで金を貰ったことのない文壇は、貰いつけない金を前に、必要以上に疑心暗鬼を生じているのである。


暴力団狩りの結果として、あれ以来雑誌編集が楽になったことは、実にありがたいことだ。我々にとって、こんな善政は未だかつてなかったといってもよい。その意味で、我々は岡田内閣が好きだ。どうせ現在では、内閣などは誰がやっても大同小異であるだけに、我々に直接よいことをしてくれる内閣は、嬉しいのだ。

(十年十月)


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