文芸懇話会の世話で、奈良の正倉院を拝観することができた。美術工芸のことは、よくわからないが、すべてが聞きしに勝る立派さであるのに驚いた。奈良朝の文化というものが、いかに優秀なものであるかが想像される。柄付香炉などの形のよさ、柄の方についている獅子の彫物の精巧さなど、ただ驚嘆するばかりである。碁盤なども、近世のものより遥かに美術的である。
武器の立派なのにも驚いた。太刀も部厚で、いかに古代日本人が強力であったかを思わせ、その装飾の見事さなども、万葉集の「奈良の都をねるは誰が子ぞ」の豪華を思わせるのに十分であった。槍が足利期の発明であるなどは嘘で、古代の鉾は、ほとんど槍そのものである。柄も銅線、革、糸などを用いて精巧に巻いてあり、槍そっくりである。しかし、多くは鉤形をした片鎌がついている。手元が滑らないようになっているところを見ると、おそらく、突くと同時に敵をからみ落すのに用いたに違いない。屏風、毛氈などの文様なども、すこぶる芸術的である。
金銀花盤という花盛器らしいものの周囲に、五色の小球を連ねて装飾してあるなど、千二、三百年前の工芸品だとは、どうしても思えない。
国際文化振興会に頼まれて、在留外人の有志のために、「現代日本文学」についての講演をした。自分の原稿を英訳してもらい、それを手にして読んだのである。自分は、英語は得意だが、発音は昔から自信がないので、法政のフランク・H・リーという先生に、一度きいてもらったが、親切にいろいろ注意してくれたが、それでも自信がなかった。しかし、やってみると、日本人なら笑いそうなところで、聴いている外人が笑ってくれたので、大いに意を強うした。外人は、とても熱心で、しなびたお婆さんまでが質問するには感心した。
脱獄囚について記事などを見ると、まるで猛獣か何かのように扱っている。しかし、捕まっている写真を見ると、我々は安心すると同時に、可哀想な気がした。現代のような生活難の世の中では、食えないことから罪を犯しているものが、十の八、九ではないかしら。幸いにして罪を犯さなくっても食える人間が、食えなくて罪を犯す人間を、憎み過ぎることは当分ないと思う。犯罪者の中には、悪人というよりも、激しい生活戦の落伍者というべき人が多いと思う。
山本有三が、今度「日本小国民読本」というのを、編集することになった。彼が現在の少年読物に不満を感じているのは、周知のことである。
だから、凝り性の彼は自分で編集する外なくなったのである。彼は、少年児童に、読物を通じて道徳的背景を与えようとするものであるらしい。興味中心の御機嫌取り一方の読物の中にあっては、この全集ははっきりとした色彩を持つことだろうと思う。山本を信頼できる方は、ぜひ一部備えていただきたいと思う。
(十年十二月)
| 目次 | 《前 後》 |