二月二十六日の事件は、大震災と同じくらいのショックを受けた。実害は、大震災の時の方がずっと大きかったが、しかし今度の方が人変であるだけに、不安が永続きするわけである。こういう事件の結果、言論文章などがいよいよ自由を束縛されやしないかという不安が、いちばん嫌だった。
過去における左翼思想は、弾圧された。しかし、その思想の温床であった社会機構の不合理、不公平などは少しも改造されていないのである。今度の事件なども、社会機構、経済機構の不合理に対する憤懣からも発せられているような気がする。為政家が、真剣にこうした不公平、不合理を抜本芟除(さんじょ)することが何よりも急務であろう。
今度の内閣が挙国一致を標榜する以上、なぜ社会大衆党からも一人の閣僚を入れるくらいの雅量を示さなかったのであろう。そうすれば、内閣の面目も、一段の新鮮さを加えたであろうと思う。
今度の閣僚中、インテリや女性たちの間に最も親しみのあるのは永田秀次郎氏であろう。政治家の講演や、テーブルスピーチで我々の感心するのは、永田さんだけである。この人には、もっと重要な椅子に座ってもらいたかった。
別項に発表しておいた通り、芥川賞は授賞を中止するのやむなきに至った。審査員の意見がまちまちであり、一頭地を抜いた作家が見当らないのである。せめて、過半数の賛成があればいいのであるが、各人各説で、どうにもできないのである。「瀬戸内海の子供たち」(小山祐士)はむりをすれば授賞できないことはなかったが、戯曲を選ぶことは、本意でないというのでよした。候補者たちに、百円ずつ分けようなどという説もあったが、それはかえって前途ある人々を侮辱することだというので、沙汰止みにした。
直木賞は、鷲尾雨工氏に贈ることにした。「吉野朝太平記」は、何といっても力作で、売れる当てもないのにああした長篇を書き上げた努力は、十分認められてもよいと思う。鷲尾君は、直木の旧友で、後不和になっていた人である。直木が生きていたら、直木賞を川口君にやることも、鷲尾君に贈ることも、反対したかも知れない。
直木賞の候補者としては、浜本浩、海音寺潮五郎君などが、有力であった。
最近読んだ本の中では、馬場恒吾氏の「国民政治読本」と、真山青果氏の「随筆滝沢馬琴」とを面白く思った。馬場さんの政治演説は、僕の推奨措くあたわざるところのものだ。文章も明快暢達だ。真山さんの馬琴研究は、入念のものであり、地下の馬琴も感謝しているだろうと思う。
(十一年四月)
| 目次 | 《前 後》 |