四月十日の「国民」のタ刊で、津村秀松氏が「時局の認識」と題し、言論報道の自由を束縛し、国民にいろいろなことを知らしめないでおいて、非常時局を認識せよというのは、無理だといったのは、至言だと思って感心した。日本国内に起っていることは、どんなことであろうとも、国民には知られた方がいいのではないだろうか。現代では「よらしむべし、知らしむべからず」を通り越して、「不安がらすべし、知らしむべからず」になっている。
支那は、懐古主義で、理想を堯舜の世に置いている。それは、現実の世の中が不愉快で将来に希望を見出すことができないためであろう。この頃になって、我々に明治時代が何となく懐かしく思われるのは、何のためであろうか。
武者小路氏が洋行する。横光の洋行が興味があるのとは、また別な意味で、興味がある。横光とは、また違った特別なものを、見て帰るだろうと思う。武者小路氏も、最近はいろいろなことをしているが、しかし何をしてもいいと僕は思っている。某銀行家の伝記を書いたので、何かいう人がいるが、伝記の人物よりも、それを書いている人の方が優れているというような伝記もあっていいと思う。
僕は、非常な悪筆で、旅行先で色紙など書かされるごとに、今度旅行するまでには、少し字を習おうと思いながら、結局そのままになっている。文壇では、正宗氏、武者小路氏なども悪筆なので、やや意を強うしていたが、最近の武者小路氏は、字がとても上手になっている。字も、やれば上達するということがわかったが、しかしやろうとは思わない。
(十一年五月)
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