話の屑籠・昭和十一年

今年は、我々が暗澹とした日が、二日あった。国家のいかなる革新も、一人の犠牲なくして行いたいものである。徳川時代のような非文明な時代ならば、いざ知らず、人知が進み教育が普及し、文物制度が完備している現代において、真に国家のためになる改革ならば、合法的に行えないことはないと、我々は信じたいのである。あらゆる階級の人々が私利私欲を捨てて、真に国家のためを思えば、どんな徹底的な改革でも、平和に行えないことはないと信じたいのである。


国体明徴も結構であるが、立憲君主国における大義名分とは何であるかということも、もっとはっきりさせてもらいたいと思う。左傾右傾の思想を抑えるべく、燦として輝かせたいものである。


論語に「学んで思わざれば則ち罔(くら)し、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」と。思うて学ばざる者は国家をも殆くすることことがある。


先月号に室生犀星氏が、大谷光瑞氏の文士に対する罵倒を怒っていた。光瑞氏の罵倒は有島武郎氏の事件を楯にとっての罵倒で、文士生活に何の理解もない人の漫罵であると思って自分は気にかけなかったのである。文士は、自分の私行を隠さないために、誤解を受ける人が多いが、善男善女の浄財を浪費しながら、漫然と暮している人間などの生活よりは、はるかに高級である。その上、文士生活の清々しいことは、官公吏などに多い収賄なぞという、卑しいことをする機会も誘惑も絶対にないことである。それに、明治以来文士にして、国家の破廉恥的な刑辟に触れた人間もまたはなはだ少ない。我々は、文士であることを恥と感じたことは一度もない。


「文芸会館」というものをどうにかして作りたいと思っている。「文芸博物館」をついでに作れなどいう注文もあったが、国家的に何の恩恵も受けていない我々に、そんな注文をするのは無理である。我々が微力を尽くして、わずか五万か十万円かの金で、小さいものを作るのである。貧弱は覚悟の前である。「軍人会館」「飛行会館」「蚕糸会館」「工業倶楽部」「銀行倶楽部」などいろいろ会館があるが、それらの百分の一くらいの貧弱なものであろう。しかしそれは日本文化の恥にはなっても、我々の恥にはならない。と、いう風にひねくれても仕方がないから、せいぜい有志の実業家などにも頼んで、できるだけ立派なものにして、外国の芸術家などを招待しても、笑われないくらいなものにしたいと思っている。


将棋界が合同した。将棋大成会などという名前ははなはだおかしいが、合同したことは欣ばしいことだ。全国の将棋ファンは、みな喜ぶだろうし、各新聞社も愁盾を開いたであろうと思う。分裂の原因が、昇段制度の不備にあったのであるから、この際昇段規定を確立することは第一の急務であろう。


美術家の団体である帝展の改組だって、簡単にはできない。まして、庶政一新などいうことが簡単にできるわけではない。大言壮語する内閣などよりも、国民生活に直接の影響のある善政を、一つでも二つでもやってくれる内閣を、我々は歓迎する。


親子心中のことは、幾度も書いたが、政治家などは、何時が来ても、そういうことに関心を持たないようである。細民に産児制限を許さない以上、国家で育児に対する費用を負担するのが当然であると思う。子供の無い、もしくは少ない有産者の夫婦に対し無産児税を課し、その収入をもって三人以上もしくは五人以上子供を持っている無産者の家庭を救済するようには、できないものだろうか。


外遊中の大倉喜七郎氏から「海外に出て、今更『文藝春秋』の普及せるのに驚いた」という電報での伝言があった。氏の御好意を感謝し、再び海外の読者諸君に敬意を表する。


この頃の出版界を見ると、我々が考えていらいらするような出版ばかりが多いようである。全集ものなどは、売れそうなものは、一つもない。あれでいいのかと思うくらいだ。出版材料の質は、年々低下する一方だ。新しい出版材料などは、できっこないのである。二、三年のうちには、出版界において、未曾有な不況時代が来るのではないかとさえ思われる。図書出版に一切手をつけなかったのは、文藝春秋としては一つの幸福であった。


「文學界」も、本社の経営に移ってから、売行きもいくらか増したらしい。同人諸君が、純文学のために奮闘していることは、欣ばしいことである。この際、大方の諸君の御愛読を切望しておく。

(十一年八月)


目次 《前 後》