話の屑籠・昭和十一年

芥川賞は別項の発表の通りである。僕は、最初「遣唐船」(高木卓)を読んで、これを第一候補だと思っていたが、その後「コシャマイン記」を読むと「コシャマイン記」の方に心がうごいた。委員会でも、自分一人でも極力「コシャマイン記」を主張するつもりでいたが、佐藤氏なども同意見だったし、久米、室生二氏も一位に選んだし、ほとんど満場だった。やはり、よきものは誰が見ても同じなのた。「現代化された英雄伝説」として、広く愛読されていいものである。たとえ、鶴田知也君は、外に何にも書いてなくっても、この一作だけでも、芥川賞に値すると僕は思った。


現代小説の中では、僕は「城外」がいちばん好きだった。しかし、北条君の「いのちの初夜」なども、取りたい気持ちがあった。その他の作品にも、いいものがかなり多かった。


自分などは、普段は同人雑誌など、てんで振り向いて見ないが、こういう機会に、新進作家の作品に目を通し得ることは、たいへんいいことだ。芥川賞の制定は、そんな意味で、我々にも益するところが多い。

新進作家の力量は、たしかに進歩している。ただ、相当の力量のある作家が、あまりに数が多すぎて、お互いにその進出を阻んでいることは、是非もなき次第である。


東京の街を歩くと、いろいろ広壮な会館があり、我々から見て、つまらない会だと思うものが、相当立派な建物を持っているのに、文芸ないしは文壇に関係のある建物が一つもないのは、まことに情ないことである。

こういうことは、文芸の国家的ないし社会的位置を、如実に示しているようで、恥かしいことであると思う。

先日、「文人武士国家所重」と書いた故寺内元帥の書を見た時、自分はおやおやと思った。

寺内さんが生きていたら、ぜひともお目にかかって、「ほんとうですか」ときき、本当だといったら、文芸会館の建築資金の奉加帳の初筆をお願いしたいと思う。

我々の力で、五万円くらいはできると思うが、それもやってみるまではわからない。先日も、小林一三さんに昼食に呼ばれた時、東宝の社長室から前方の建物を指し、

「ねえ、菊池君、あの建物は、売りに出ているんだが、僕が話すから、文芸家協会であれを一つ買わないかなあ。金は、僕のいう通りにすればきっと作れると思う」

と、小林さんはいってくれた。しかし、協会に一文もない今は、小林さんのいうところのプランをきく勇気もなかった。いずれ、五万円できたら、小林さんにでも頼むつもりである。


野間清治氏の「私の半世」という本は、なかなか面白かった。野間さんという人物が初めて分かったような気がした。学生時代に、一日の運動会に七種目に優勝したり、受験に行って、蒼くなっている受験生たちに、同じ受験生の身で演説を始めたり、凡人にはできないことをやっている。

自分は野間さんは修養した凡人だと思っていたが、この本で見ると、生れながらにして、非凡人である。その大望、その熱、その図々しさ、堕落の一歩手前で踏み止まる意力などが、修養の力で渾成され、今日の大をなしたのであろう。学問の中心である帝国大学に、学生事務員として、前後七年もいながら、その諸雑誌に学問ぬきの大衆主義の大旗を立てたことなども、その卓見の一つであろう。


樋口一葉の「たけくらべ」の碑が、その小説の舞台である竜泉寺に建てられた。まことに、一佳話であるといってよい。文芸的記念物などの皆無である東京にとっては、一つの名所が加わったといってもよいだろう。

碑文は、私が書いた。これは、その人選を誤っていたであろう。しかし、建設主唱者の一人が、私のファンであり、ぜひ私にというものだから、私も微笑しながら、引き受けたのである。

本当は、泉鏡花とか久保田万太郎とか、馬場孤蝶とかそういう人たちが書いた方がよかったであろう。

僕の碑文であるから、字は小島政二郎君に頼んだ。これは、小島君の厳父が、下谷の区会議員をしていたし、建設者の人たちとも顔なじみであったというから、まことに適任であろう。

碑は、割合によくできた。古くなく、モダンがらず、落ち着いた感じのものである。

碑文は一度、社会面に出たことがあるが、

「此処は、明治文壇の天才樋口一葉旧居の跡なり。一葉氏此ところに住みて『たけくらべ』を書く。明治時代の竜泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を慕いて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り止まらん」

というのである。しかし碑が立ってから考えると、結末の文章が、少し大仰であった。「一葉霊あらば地下に微笑せむ」と書くべきであったと思った。


僕は、将棋に昔ほど熱心でない。昔は、すべての高段者と機会あるごとに指してもらった。だから、現八段では、神田八段を除き、みんな手合せをしている。大阪へ行ったとき、わざわざ木見八段を訪ねたり、京都へ行くと早川七段を訪ねたりした。坂田さんにも、指してもらうつもりで、吹田まで行ったが不在だった。

高段者と指した記憶の中では、花田八段に飛香落ちを二番連勝したのと、平野六段(当時四段)に香落ちを二番連勝したのが、いささか自慢の成績である。玄人は、容易に二番は連勝させぬものだ。いずれも十年も前のことだ。ところが先日、乎野六段と会ったら、

「菊池さんに、いつか香落ちを二度負けた。別に負けるつもりではなかったのだが……」といってくれた。平野さんも、記憶してくれたわけだ。これなどは、僕として、いちばん出来のよかった将棋であろう。それよりは、二、三年前だろうか、金子、飯塚の二君と飛車落ちをやったことがあるが、これはほとんど勝った記憶がない。萩原新八段は、十七、八年来僕の所へ来ているが、昔からずーっと飛車落ちである。もっとも稽古将棋だから、いつも気が乗らない。


今度アトリエ社から、「現代日本小説全集」というのを出し、その印税の一部を文芸会館建設資金に充てたらという申し出があった。これは、久米、小島、川口の諸氏などに芝居をしてもらうことなどよりは、よっぽど頭のいい計画なので、早速賛成したので、九月頃に第一巻がでる。文芸会館建設のための勧進帳のような全集だから、一紙半銭の喜捨をして下さる意味で、ぜひ一部買っていただきたい。

(十一年九月)


目次 《前 後》