話の屑籠・昭和十二年

時事新報が解散したことは、新聞雑誌界における一つの悲劇だ。ことに、僕などは、大正五年から足掛け四年ばかり、同社の粟(ぞく)を食(は)んでいただけに、さらに感慨が深い。僕の在社当時は、同紙は一流中の一流として、信用、品格とも他紙を圧するのおもむきがあった。が、その後、大正の末期から昭和の初めにかけて、経営に人材を得なかったために、今日の悲運を招いたのであろう。同紙が有力なる財閥を背景としながら、財政的破綻に苦しんだなど、結局新聞雑誌の経営は、金よりも人の問題であることを感ぜしめる。さるにても、自分の在社当時から、引きつづいて奮闘していた老主筆石河幹明氏などの胸中は、察するにあまりがある。


ただ、自分は、同社にいた時から、あきたらぬことが一つあった。それは、福沢翁の精神の一つは、旧形式の破壊であった。実利本位に、古い形式を破壊することであった。ところが、福沢翁を尊敬するあまり、福沢翁のやり方が同社においては、たちまち一つの形式になっていた。そして、その形式を厳として尊重するのであった。福沢翁の本当の精神は、古い形式の破壊であったから、たとい福沢翁のやり方でも、時勢に連れてどんどん破壊して行くことこそ、福沢翁の本当の精神ではないかと自分は思っていた。福沢翁の本当の精神を掴むことができなかったことなども、同社の衰運を招いた原因の一つではなかったかと思う。


新聞雑誌は、今もなお戦国時代である。油断をすれば滅びるのである。一度、衰運に向うと、挽回することは、はなはだ難しいのである。衰運に向って気がついても駄目である。盛時における積極的な奮闘努力が、大切なのである。


久原房之助氏の事件が、解禁されてみると、起訴猶予であるという。その程度のことなら、記事掲載を禁じて、「久原はどこへ消えた」とか「怪傑久原の正体」とかいったような記事を盛んにはびこらして、揣摩(しま)臆測の種を蒔き、人心を不安にさせる必要は、どこにもないではないかと思う。どんな事件でも、国民は早く知らしてもらう方を喜び、またそのために、早く安心するだろう。


国民生活の安定などという言葉は、結局いろいろな場合に、だしに使われるのに過ぎないものらしい。たった一人でもいいから、国民生活の安定ということのために、死にもの狂いになる政治家を、国民は持ちたいと思わないだろうか。


久米が、僕と一緒に、今度東京日日の学芸部顧問になった。僕の顧問は、小説を書く方が主であるが、久米のは学芸およびスポーツ両方面に、いろいろ知恵を働かすためだから、その方面で期待されているのである。「東日」も久米を入れた以上、飾り物扱いでなく大いに久米の意見を入れて、生彩を発揮するつもりだろうと思う。なお、僕は「東日」と三年間の契約であったが、今度なお三年間契約を延ばすことになったから、同社のために、できるだけ勤めたいと思っている。


「文學界」で、池谷信三郎賞というのを制定したが、中村光夫、保田與重郎の二君が、その選に当った。両君とも、文芸批評家として、異色ある新人である。


阿部真之助氏と小林秀雄氏とが、新年号に、「菊池寛」論を書いている。いずれも、過褒で、当らないところが多い。ただ小林氏が、僕の通俗小説を、モーパッサンなどの小説と結局同じ種類のものだ、ただ天分が劣っているだけだといっていたのは、実際は当っているかどうかわからないが、ただ僕の意図だけは汲んでくれているものとして、ありがたかった。とにかく、僕などはかなり買いかぶられている方で、褒められるにつけて、文晁の辞世の歌「長き世を化けおほせたる古狸尾先な見せそ山の端の月」というのを思い出して苦笑しているが、しかし、買いかぶられている場合は、どうにかして、そういう評価に相当したいと思う心が動くから、結局ありがたいことだと思う。


埼玉県の百万円使い込み事件で、世人が驚いていることは、金額の大きいことでなくして、埼王県知事が頻々として更迭していることであろうと思う。半年や一年で、交代しておって仕事ができるわけではないと思う。昔の知事は、四年も五年も土着していた。それでこそ、県民の人情風俗もわかるわけである。あんなに、頻々と代っていたのでは、会計課長の乱行だってわからないのは当然である。あれでは、まるで県知事というものは、官僚の出世のため階段として、設けてある役のようである。官僚の仕事などいうものは、洗ってみればみんなあんなものじゃないかと思う。


新年号の創作を少し読んでみたが、結局おしまいまで一気に読んだのは、里見君の「金」だけであった。この作品も、里見君のものとしては、よいものでは決してないが、しかし読ませる力は他の作家を圧倒していると思った。現代の新進作家の作品などはニページも読むと、退屈してしまうものが多い。文学は、よみものであるから、読ませる力があることは、その第一条件ではないかと思う。

(十二年二月)


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