僕が文芸会館の建設に怠けているような漫画が、ある新聞の学芸欄に出た。ところが、同日に他の新聞に、文芸会館の新計画について三段ぬきの大記事が載っていた。だから、この漫画は、僕の不熱心さを皮肉った漫画なのだが、両新聞を併せて見ると、その新聞の学芸欄記者が、文壇ニュースに対する不熱心さを皮肉ったように見え、まことに気の毒であった。文芸会館建設の仕事は、なかなか難しいのだから、皮肉ったり野次ったりしてもらいたくない。
寄付金を募るといっても、実業家などが、おいそれと出してくれるわけではないのだ。そんな甘いことを考えていては駄目だ。他人様の寄付を募る前に、文壇人だけで少なくとも五万円は集めなければならない。浪費家揃いで蓄財のない文壇人から五万円集めるのは、少なくとも一年か二年かはかかるのだ。僕などでさえ蓄財は皆無だ。自分の貯金などは一文もない。どうせ、文壇で五万円とすれば、僕は五千円以上一万円ぐらいは出さなければならぬだろうが、それだけの金を月賦で出すとしても、一、二年は待ってもらわなければならぬ。吉川君や小島君にしろ、その割当を一度に出すのはなかなか骨だろう。しかも、千円以上出してくれる人は、十五、六人いるかいないか。後は、百円だってなかなか出してくれないだろう。アトリエ社で出した全集は、ものの見事に失敗するし、金を集めるのは簡単な話ではないのだ。
ところが、今度小泉三申老が、読売新聞社脇の好個の土地を提供してくれることになったので、ここならある程度の資金があれば、復興助成金などを融通すれば案外早く実現するかも知れないのだ。僕は、最初から焦っていないのだ。オリンピックまでに建てられればいいと建築委員の前でまで揚言しているのだ。日本で初めての性質の会館が、そう簡単に建つわけはないじゃないか。もし、オリンピックまでに金が集まらなかったら、最後の手段として、文藝春秋社が独力で建てて、文芸家協会に寄付しようと思っている。実業家の寄付なんか、本当は当てにしていないのである。僕が生きていてオリンピックまでに建たなかったら、漫画でも何でも描いて、嘲笑するといい。
東京市政革新同盟の丸山鶴吉氏から勧誘されて、東京市の市会議員の候補になっている。いつか衆議院議員の候補になって、こりごりしているのだが、丸山さんが、費用は全部こちらで出す、ただ承諾さえしてくれればいいといって勧められるので、東京市民たる以上、承諸するのがいいのではないかと思って、やっているわけである。演説会は、素晴らしい景気で空前のレコードだが、当選するかどうかは、今全くわからない。落選しても笑わないでもらいたい。東京市政に関する抱負などは何にもない。野心もない代り、悪心もない。当選しても後悔するのではないかと、今から心配している。
映画スターが、転々として転社する。僕はどの会社とも同じくらい懇意だから、一社をひいきにしていうわけではないが、ああいう風に動くのは、映画俳優全体の声価を落すのではないだろうか。ことに、その会社で売り出すために骨を折った女優などが、ひょいと転社するなど、映画会社が、何となく可哀想である。女優の場合など、その女優が、何だか薄情で冷酷な女のような気がする。
と、いってこの頃、映画会社の金のないのには驚く。僕なんか直接に影響があるのだから、いやになってしまう。そんなに、金の儲からぬ事業など、なぜやるのかと疑いたくなるくらいだ。
三月の読者大会に、久米が例年の通り芝居をやることになっていたが、今度突然、秩父宮殿下御渡英の記事を書くため、大毎東日記者として外遊することになった。
久米は、こういうことにかけては、文壇の最適任者である。オリンピックの横光は、三、四回しか通信を書かなかったが、それでも日本選手の不統制を早くも暗示して、好評嘖々(さくさく)だった。今度の久米の通信も鶴首して待つべきものがあろう。僕が、東日の粟を食んでいるので、提灯持ちをするだけではない。久米は一高時代、万朝報の徒歩選手になり、その新しい文章で千葉亀雄氏を驚かしたことがある。この頃は、人事に関する見識がさらに円熟したから、彼の紀行文は、さらに一段の光彩を放つだろう。
文化勲章が、文学以外の人々にしか授与されないとしたら、はなはだ残念のことである。美術や学芸には、今までも表彰の道が相当に開かれているのではないか。未だ国家的に一度も認められたことのない文学者に与えられてこそ、新しく制定せられた意義があるのだ。ことに遅ればせに制定されたのだから、既往にもさかのぼって授与されてもいいと思う。相当の位置の官吏や軍人が、それぞれ勲章を持っているように、相当の位置の文学者は、与えられてもいいのではないかと思う。
(十二年四月)
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