話の屑籠・昭和十二年

近衛内閣の出現は、近来暗鬱な気持になっていた我々インテリ階級に、ある程度の明るさを与えてくれたことは、確かである。少なくとも、日本においての最初のインテリ首相である。近衛さんによって、初めて我々と同時代の人が、総理大臣になったといえると思う。ことに、近衛さんなどは、名利の欲なく、ただやむにやまれない時勢の要求で出たのであって、林前首相の「滅私奉公」の典型みたいなものだ。


近来大臣の教養が低下し、浪花節的趣味と中学生ぐらいの思想の持ち主が、その位置を利用して、感想や意見を述べたりするのは、やり切れないと思っていたが、近衛さんなどは、その人たちよりは学問も趣味も高級だから、文化日本の首相らしい言動が聞かれると思う。


林内閣の瓦解は、腐ったりといえども、政党がその威力のおもかげを発揮したことだと思う。とにかく、政党が無力だろうが腐敗していようが、我々国民を代表するものは、今のところ政党以外にはないのであるから、政党が無視されることは、国民が無視されることになるのである。政党の腐敗堕落などいうことも、政権を取っていた時の話で、今のように万年野党では、腐敗のしようがなく、だんだん浄化されていくほかはないだろう。


フランスのカンデ城におけるウィンザー公の御結婚は、世紀の一大戯曲であった。バーナード・ショーがもう少し年が若かったら、きっと何らかの形式で扱うに違いない。


先日、「話」の座談会で、東京在住の外国の通信記者を集めて、座談会をやったが、彼ら外人記者に、何か外人に対する日本人の態度について、改めて欲しいものがないかときいたら、皆異口同音に巡査の言動動作が不愉快だといっていた。そして、皆「バカヤロー」「オイコラ」「ナンダ」などと口真似をしていた。もちろん、外人たる彼らがそんな乱暴な言葉で呼びかけられたわけではないだろうが、巡査が民衆を怒鳴りつけているのが通りがかりの彼らにとっても不愉快なのだろう。自分が「新警視総監は、その点を改良するために訓示した」といって、弁明したら、「いや、自分は三日前にも乱暴な巡査を見たから、その訓示は効果がないのだろう」と、いっていた。中には、巡査に番号を付けておいたら、あんな粗暴な行為をしなくなるだろうと、いっていた。自分は、日本巡査は、その公正な点で、世界的に評判がいいと聞かされていたが、こんなに外人たちに評判が悪いとは思わなかった。先日も、横浜の根岸競馬へ行ったとき、巡査がちょっと抗弁した運転手の横面を殴打しているのを見て、自分は憤慨したが、ああいう行為を外人などが見ているので、こんなに評判が悪いんだろうと思った。新警視総監が、巡査の用語の改良を計っているのは、まことに時宜を得たことであるから、オリンピックなどには、ぜひ改革の実を挙げてもらいたい。


自分は、今度中央公論社から、全集を出すことになった。一度出しているから、はなはだ気が進まなかったので、最初は断ったのであるが、文芸会館建設の資金が、うまく集まるかどうかはなはだ心細いので、この全集の印税をその一部に充てたい気になったのである。もう一つは、前の全集は、駄作も悪作も一つ残らず入れてあるので、生前に選択して恥かしくないものだけを残したいという希望があったからだ。中央公論社は、僕の本は今までみな粗末な本ばかりだから、一つ立派な本をこさえてみたいという希望だそうである。こういう意味の全集であるから、その理由の一つでもが各位の意を得たら、ぜひ買っていただきたいと思っている。

(十二年七月)


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