話の屑籠・昭和十二年

北支において、日支が戦端を開いたことは遺憾である。数年来の抗日気運の避けがたい結果であろうが、日本と支那とが、ローマとカルタゴのような仇敵関係になり、十年目、二十年目に、戦争をしなければならぬとすると、東洋における平和や文化のために、一大障害となるであろう。いかに日本の武力をもってしても、あの大国と四億の民衆とを徹底的に屈服させてしまうことは、不可能であろう。幾度、生殺しに叩きつけても、十年二十年経つと、国力を回復して、向ってくるだろう。そのたびに、叩きつけ叩きつけなければならぬとすると、将来の日本にとって、負担とも脅威ともなるのではないだろうか。しかも、常に抗日の機会を狙っている支那を控えていては、他の第三国と大衝突をしなければならぬ場合には、相当の邪魔物となるのではないだろうか。

今度の事変なども、中央軍などの逆撃は、日本軍にとっては鎧袖一触(がいしゅういっしょく)であろうが、軍事的に勝利を収めた後に、日支国交の根本的調整に対して、深甚な考慮を払ってもらいたいと思う。ビスマルクがオーストリアをやっつけた後、すぐ親交を結んで普仏戦争に備えたような、高遠な政治的手腕が、日本の政治家にも望ましいと思うのである。


近衛内閣が、事件の突発と共に、我々総合雑誌社の了解を求めたことは、雑誌の社会的位置をはっきり認めたことで、雑誌経営者にとっても、雑誌の読者にとっても、会心のことであると思う。


先々月号の本誌に、水野広徳氏が、新田義貞と楠木正成とを比較して書いておられたが、この忠臣たちに勝るとも劣らざる南朝の大忠臣は北畠親房卿であろう。当時における位置は南朝の総理大臣であり参謀総長であり、南朝のための苦心経営に肺肝を砕いているのだ。しかも、陣中に筆を取って「神皇正統記」を書いて、大義名分を百世に明らかにしている。義公の「大日本史」も、山陽の「日本外史」も、みな「神皇正統記」に鼓吹されたもので、「神皇正統記」こそ遠く明治維新の動因となっているのだ。この人などこそ、もっともっと顕彰されてもいい人ではないかと思う。


時局を当て込みの詐欺が、新聞に出ている。ことに派遣兵士の遺族などを騙るに至っては、言語道断である。先日も、僕の町へ、ニセ者が来た。立派な肩書付きの名刺を持っているのだが、一見してニセ者だとわかった。しかし、用件は満州への武装移民団のために、色紙を書いてくれというのである。たいした要求でもないので、書いてやったが、文句は「玉石自ら顕る」と書いた。


今度の芥川賞も適当な候補者が少なく、結局、尾崎一雄の「暢気眼鏡」に贈ることにした。僕としては朗らかな貧乏小説として、一種の風格のあるのを選んだのである。直木賞の方は結局適任者がなかった。大衆文学は、近来新進作家の輩出なく停滞している様子なので、当分その人を選ぶに苦しまなければならぬ。


この頃、純文学者の歴史小説を、三、四読んだが、描写にしろ説話にしろ、老練なる大衆作家に及ばない。現代小説でも、女性などを書いて、本当に姿態までを描写できる純文学方面の作家というものはほとんどない。みんな心理描写と会話で、ごまかしてあるのだ。本当に情景が活写できないから、いよいよ純文学というものがつまらなくなるのだ。


雑誌の用紙の値上りは、新聞用紙の値上りよりは、ずっと高率なのである。倍以上である。その上、新聞はその値上りを広告収入の方へ転嫁させることができるが、雑誌ではそれができないのである。僕自身、商工大臣にも会ったり、製紙会社の重役にもあって嘆願してみたが、なかなかうまくいかないのである。本誌のように、低廉なる定価を売物とする雑誌にとって、紙の値上りは、最も苦手である。今後本誌の定価が少しくらい変動しても、御諒恕を願いたいと思う。

(十二年九月)


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