話の屑籠・昭和十二年

支那事変について、いろいろな武勇談が伝えられて来るが、現代の戦争における武勇は、戦国時代の武勇に比べては、五倍か十倍くらいの勇気を要するのではないかと思われる。源平時代や戦国時代は、討死にを覚悟しなければ、なかなか死ぬものではなかった。ちょっと用心していれば、戦場へ出ても、生命をおとすことなどはなくて済んだ。が、現代の戦争では、第一線に立つことが、万死を冒すことになる。まして、機関銃に向っての突撃などは、昔の戦争などには絶対にない危険を冒すことである。だから、現代の戦争では、名もなき兵士も、昔の男将、豪傑以上の勇気を振っているわけである。日露戦争に比べても、危険率は、二、三倍しているわけではないかと思う。従って戦死した将校なども、橘大隊長や広瀬中佐くらいの勇猛さを銘々発揮しているのではないかと思う。


戦場で、一死を軽くし得るのは、国体か国家に対する信仰からであろう。それだけに、平生の国民生活を安定させておく必要があると思う。平生生活難に苦しませておいて、いざ鎌倉という時に国家のために尽くせよというのでは、為政者としての責任は十分果たされているとは思えない。平生国民生活を安定させて、後顧の憂いなからしめて、しかる後国家のための奉公を求めることが、為政者の当然の義務ではないかと思う。


出動する兵士を送り出すごとに、我々兵役の義務なき者は、誠に申し訳ない気がするのである。戦場の労苦は、並大低ではないだろうと思う。と同時に、華やかな戦勝の報に接するごとに、心を痛ましむるものは、戦死傷者の氏名である。国家としての存在、発展のためのやむにやまれない犠牲とはいえ、哀悼の念に堪えないのである。


戦争と文学者について、いろいろな御注文があるが、小説家にとっては、無理であろう。詩人なれば、軍歌でも作れるが、小説家としては、生々しい材料をすぐ書けというのは、無理であろう。書けば、低俗な読物小説以上のものは、できるわけはない。ことに、作家としては、戦争の真実、戦争の惨禍にも目を閉じるわけには行かないだろうし、よき戦争小説ができるとしても、二、三年の後であろう。また実際戦場に立たないものにとって、戦争小説を書けといっても無理であろう。ただ文学者としては、戦場視察に行くくらいが、現在のところなし得る頂点であろう。


オリンピックが中止になりそうな不安があることは、はなはだ残念である。自分は、オリンピックを日本へ招致することは、未だ尚早であることを感じていたが、いったん来た以上、これを返上したりすることは、日本の国際的信用を傷つけることで、はなはだ好もしからないことである。戦争は戦争、仕事は仕事といった冷静さを、せめて国際的にだけでも見せたいと思う。

英国では大戦中「仕事は仕事(ビジネス・アズ・ユージュアル)」ということをモットーとした。今度の支那事変なども、長びくとすれば、こうした冷静な態度が、最も必要なのではないかと思う。


東京市会議員の皇軍慰問行に対し、大名旅行という非難がある。今度だけは、そんな野心は少しもなく、奉公の微意を示す誠心で行くつもりらしいが、今までの評判が悪いだけに、何でもかでも大名旅行にされてしまうのである。衆議院の人たちに比して、旅費が多いのは鉄道のパスがないためであるのだが、そういうことまで、非難の的になるらしい。もっとも、人数が多すぎるのはいけないし、戦地でまごまごしては、軍隊の邪魔になるだろうし、市会内部でも一部に反対はあったのであるが、なにぶん皇軍慰問ということが大義名分なので少しでも反対があったりしてはいけないというので、全員賛成したのである。しかし戦地へ行けば、多少とも生命の危険もあるだろうし、よい旅宿があるわけでもないし、いくら市会議員だって、大名旅行ができるわけはないと思う。

(十二年十月)


目次 《前 後》