話の屑籠・昭和十二年

自由主義者として、ある筋から睨まれていたかも知れない清沢冽君が、パリで、大いに日本の立場を弁明しているという電報が来ていた。新渡戸博士なども、ある方面からいじめられたが、太平洋会議か何かの場合に、日本のために戦ったことは、我らの記憶に新しい。自由主義ということは、自分の良心によって行動することだと自分は考えている。自由主義者は、方法や考え方こそ違っているが、国家を愛し、民族の将来を思う点において、他の方面のいかなる人々にも劣るものではないと自分は思っている。


事変勃発と同時に、日本を去って上海に帰り、抗日の筆陣を張った郭沫若は、日本に最愛の妻子を残している。安んじて、最愛の妻子を残していけるということに、日本の正義と秩序と文化とを考えないのだろうか。蘇州あたりに寓居を持っていた日本の文人があったとして、今度の事変に、妻子をそのままにして忽然として帰れるだろうか。抗日の筆を弄しながらも、日本の秩序と文化との庇護にある妻子のことを考えないのだろうか。抗日、侮日の行動に出る前に、支那が国家としてなすべきことがたくさんあったのではなかろうか。明治初年以来、日本と支那とは、しばしば抗争をしている。が、支那人が、日本において、そうした対立的感情によって虐殺された場合は、いくら考えても一人もないようである。


戦死者に対し、その階級のいかんを問わず、五千円程度の賜金を与えようという案は、大変いいことである。国家に捧げられた尊い人命という点において、ひとまず同等に扱わるべきものである。


戦死者の小伝を掲げる場合、新聞が毎日表題を変え、どうにかして少しでも感銘的に伝えようとしている苦心は十分察する。しかし、毎日毎日変えようとしても、変え切れるものでもないし、あんまり変えていると、かえって言葉を弄することにもなりそうだ。結局、あれは一定の表題で報道した方がいいのではないかと思う。


洋服を節約しようとすると、洋服屋の生活問題が起るし、年賀のハガキを全廃しようとすると、印刷屋や名刺屋の生活問題が起る。しかも洋服屋や名刺屋からも、幾多の出征兵士が出ていることだろう。いろいろな改革、刷新ということはなかなか難しいものだと思う。


「愛国行進曲」は、僕がいっていた通り、そうたいした作品が集まらなかった。新聞の投書でも、非難されていたようだが、「臣民我等皆共に」などいう文句は、たしかに困りものである。ああいうものは、もっと期間をおいて自然に現出を待った方がいいのではなかろうか。最近の懸賞募集では、やはり「東日」の「露営の夢」が成功作であろう。これは、かなり歌われているようだ。


友田恭助君を失った文学座は、友田君に対する芸術的弔い合戦として、今月の三十日から三日間、有楽座で「大寺学校」と「沢氏の二人娘」をやるそうで、田村秋子さんも出演するそうである。友田君の霊を慰めるためにも、また田村秋子さんを慰めるためにも、この公演はぜひ成功させたいものだ。


田村秋子さんが、各方面の人が友田の死を悼んでくれるのは有難いが、それならどうして生きているうちに、もっと友田の芝居を見てくれなかったのかといっていたが、もっともな不満である。


事変と共に、各座とも軍事劇全盛であったが、一夜作りのものが成功するわけはなく、今は軍事劇も流行しなくなった。劇壇不振の秋に、新築地の「土」が好評満員であったのは、注意すべき現象である。薄田研二君から「土」の上演に際して意見を求められた時、自分は極力反対したが、しかしその後、新劇などあまり見たことのない人の観劇評によっても、「土」はかなり面白いらしい。こういう非常時局に際して、新劇がその多年培った潜勢力を発揮していることは、はなはだ欣ばしいことである。

(十二年十二月)


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