話の屑籠・昭和十三年

昭和十三年

本誌十二月号に載った支那の大公報の記者長江の「察南敗退記」は、従軍紀行としては、出色の文字で、敗軍の悲惨な光景が、よく描かれていた。日本側のいかなる従軍記よりも、面白かった。これにつけて思うのは、戦争ものが面白いのは、たいていは敗戦か苦戦かの場合である。「平家物語」や「太平記」でも敗戦史であるし、「西部戦線異状なし」でも、プリボイの「対馬」でも、みな敗戦記である。桜井中尉の「肉弾」は、苦戦記である。得意の場合は小説にならず、小説といえば、失恋小説に決っているように、輝かしい勝利には、戦争文学などは生れないのかも知れない。日本に、好個の戦争文学など出ないのは、国家のため大慶といわなければならないのかも知れぬ。


先日、「東日」の催しによって、横須賀海軍病院を見舞い、一場の講演をしたが、入院せる将兵諸氏の元気で朗らかなのは、驚いた。重症患者の少ないためもあろうが、国家のために重責を果して傷ついた人々の心境そのものも、秋空の鷹のごとく爽やかなためもあるであろうと思った。


今度南朝の忠臣、菊池武時公の六百年祭が執行せられるために、顕彰会が設けられ、いろいろな催しをするそうである。その一つとして、僕も菊池武夫男から「菊池武時」といった芝居を書いてくれと頼まれた。もう、二、三年前から頼まれたのだが、忙しいためにどうしても書けなかった。今度、僕に代って長田秀雄氏が書くそうである。楠正成自身が、「菊池武時こそ忠厚第一に候へ」と、奏したといわれているごとく、菊池氏の尽忠は、頼山陽の詩にあるごとく翠楠必ずしも黄花に勝らずであろう。一族二十四氏にわたって、その志操を変えていない。一門の中から、その忠誠によって、贈位せられたもの十二人に上っている点から考えても、烈々たるその勤王精神が知られると思う。しかも、九州の天険菊池郷にあって、二十四世を経たのだから、その支族は九州一円にわたっている。その支族の姓氏だけでも、五、六十あるらしい。西郷隆盛などもその支族である。大島へ流された時、菊池源吾と名乗ったのも、そのためである。菊池家は、戦国時代になって、内争によって廃絶したのだ。あと十五年くらいで、秀吉の九州征伐があった。秀吉の九州征伐まで存在していたら、十五万石くらいの大名になっていただろう。

菊池家亡滅(ぼうめつ)の時、その嫡子が日向に落ちて、米良(めら)に土着し徳川家によって交代旗本になった。これが、菊池男爵の家である。僕の家などは、支族中の支族だが、それでも薩摩の儒者菊池耕斎の流れを汲んでいるから、菊池氏の門葉には違いない。僕の先祖が、京都で頼杏坪と会った時、向うで「名を聞いて名族菊池に驚く」という詩を作ってくれたのが、僕の家に残っている。先日、講演会の時、同じく講師で来ていた菊池武夫男に会ったが、貴族院における言動で頑固一徹の老人かと思っていたら、見るからに柔(なごや)かな温顔であるのには、驚いた。


この頃、わが国でも、いろいろの文化運動の団体ができているが、このくらい形式的な空騒ぎのものはないと思う。貴紳や元の大臣や高官を会長や顧問に並べて、陣容だけを整えて、結局何にもしないのである。およそ、文化的活動をするのには、印刷物と講演とであるが、講演などは、集まって来る人数が少ないから、ほとんど効果はないのである。結局は、印刷物であるが、これは費用が大変だし、つまらないものは、人が読まないのである。機関雑誌などでも出そうものなら、五万円や十万円は、またたく間に消えてなくなる。

文化活動もいいが、その機関や人を得ることが至難である。ことに下らない印刷物などを作るよりか、有力な新聞雑誌に依頼して、これだけ金を出すから、その方面にカを入れてくれといった方が、いくら効果的であるか分からないと思う。それに、文化活動である以上、学者や文筆の士を中心として組織すべきであるのに、たいていは華族や官僚などが中心である。ああいう連中が、文化などということさえおかしい。


日本の空軍の強いのは、頼もしい。今度の事変においても、国民が英国を恐れず米国を恐れず、ソ連も恐れないのは、わが空軍に信頼しているためであろう。

素人だから分からないが、英米の海軍も、わが空軍の実力には手も足も出ないのではないだろうか。一時の恐米病が、根絶したのも、わが空軍の発達のためかも知れない。

軍器としての飛行場の発達は、日本にとって天恩的なものかも知れない。


非常時に際して、娯楽機関や遊興機関を徹底的に弾圧するという新聞記事があったが、長期戦争には、かえって人心をうましめないことが、為政家の務めではないだろうか。ある程度の緊縮は、必要である。しかし、無理な緊縮は長つづきするものではない。ことに失業者を生ずるような取締まりは考えものである。前にも書いたが、ダンサーや女給などの兄弟や夫や、内縁の夫などが、戦線に活躍していないと誰がいえるか。


僕は、自分の健康に対する観測から、数年来五十歳説であったが、とにかく五十以上は生きていられそうだ。西鶴ではないが、「浮世の月見過しにけり末二年」……ではなく、何年になるか。


西鶴といえば、真山青果氏の「西鶴研究」は、深遠正確なる点において前人未発のものであるが、「中央劇壇」に出ているその断片を見ても、氏の研究の深さには、頭が下がるものがある。こういう研究を支援するような篤志家はないものだろうか。こういう研究こそ、日本古典文化の研究である。

(十三年一月)


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