戦争が、いつ終るかということを問題にしている人が多い。戦争が終るということは、貴い人命が失われることが終ることだから、もちろん大切な問題であるが、しかし戦争が終ったところで、北支、中支の新政権を確立するという大事業が残っている以上、戦争同様の覚悟が必要である。五年、十年、あるいはそれ以上、我々は、現在の覚悟を続けなければならぬと思う。
我々が蒋政権の無謀な抗日政権を憎みながら、支那そのものに対しては、常にある親しみを持っているのは、日本が古来永くその影響を受けた支那文化のためであろう。「唐詩選」などに、現在の新戦場の地名などを見出しても、我々は感慨無量なるものがある。我々は、永く支那文化の中に生きて来たのだ。我々の使う諺だって、多くは支那の故事逸話から来ているわけだ。それと反対に、支那の民衆に、日本に対する新しい親しみを植えつけるのには、現代の日本文化の恩沢を敷くほかないと思う。我々が支那の文化を解するほど、支那人が日本文化を解することが、新しい日支親善の基礎でなければならぬと思う。
ダヌンチオが死んだ。僕は文芸家協会を代表して、弔電を送ったが、個人としては、ダヌンチオは好きではない。偉大な作家だとも思っていない。ただ、ファッショのイタリアでも、作家の死に対して、深甚な弔意を表すのを見て、感心した。
柳川兵団に従事して帰って来た社員の話では、杭州湾から上陸した部隊の兵士たちは、南京へ向って急行軍をやったが、敵兵の姿を見ると、嬉しかったそうである。それは、鉄砲を撃つ間だけは、休めたからだそうである。
国家総動員法案だろうが、電力法案だろうが、それが国家のために必要であれば、我々は賛成する。我々は資本家でないからであろう。ただ、我々の関心を持つものは、言論の自由だ。現在の統制だけでも、我々はたくさんだ。芥川の「桃太郎」という童話みたいなものをのせた女学校の教科書が、東北の某県で、使用禁止になったというので、ある教育雑誌から意見をききに来た。原文を読んでみると、芥川式の反語や皮肉が、ところどころあるだけである。それを反戦的だなどいわれたのでは、地下の芥川も苦笑する外はあるまい。
先月の本誌で書いた菊池文芸賞は、本社から資金を寄付し財団法人を組織し、それによって授賞することにした。本社が潰れても、僕が死んでも永続するわけである。もっとも僅かの資金では心細いので、将来もっと寄付をするつもりだ。生前から名前を冠するのはおかしいが、こうしておけば、僕がいつ死んでも、記念賞金だけは残るわけだ。芥川賞、直木賞も、将来は同じ財団法人によって授賞したいと思っている。が、それには資産が十万円以上要するわけだ。
(十三年四月)
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