話の屑籠・昭和十三年

非常時に、学生が課業を休んで、麻雀をやったり、喫茶店へ行ったりするのは、いけないことである。しかし、そういう弊風は、学生自身の間から粛清運動が起されてこそ、非常時らしい好風景を呈するのだ。警察の力で高圧的に取締まられることになっては、学校の権威も、学生の面目も台なしである。ことに新聞に学生が警察署内で静座させられている写真が出ていたが、あの写真は外国の新聞、ことに支那の新聞などに転載された場合、どんな感じを与えるだろうか。


精神総動員の建前上、国民の気風を一新するために、あらゆる方面に積極的に鼓舞奨励が行われるべきであろう。消極的な取締まりや弾圧は、下衆だと思う。


一高の寄宿舎には、中堅会というものがあり、学生の風紀を自治的に取締まっていた。本郷通りでも、女給のいる西洋料理などへは、出入りが禁止されていた。どことどことは、いけないと決っていると、その店の前は足早に通りすぎたものだ。寄宿舎の門前には、交番があったが、我々が遅く帰って、塀を乗り越していても、お巡りさんは、何にもいえなかったし、中にはお巡りさんから尻を押し上げてもらった男もいたくらいだ。学生に対しては、警官は特に寛大な態度を持っていたのであろう。隔世の感がある。


一高のことでついでに書いておくが、現在の日本主義の思想は、一高の明治四十年頃の思想と共通している。あの時代の寮歌を見ればよく分かる。

「東亜の天地三千里、男児飛躍の舞台ぞや」という文句があるが、それが現在になって、実現したわけである。


今の短歌の中でも、戦線にある人々の歌や、出征軍人の妻の歌などがいちばん心を打つ。技巧や才能などは、結局その作品の素材となる生活の持つ力には、敵わないのだろう。


よくは読まなかったが、読売の座談会で、志賀氏と長与氏とが、僕の大衆的文学が日本の文学の真の発展を阻害するというようなことをいっていたが、おかしなことを聞くものだと思う。僕は、純文学を離れてすでに十年近いし、将来とも純文学の作品など書こうと思っていないのだが、それでいてなお僕の存在が純文学の発展に邪魔になるというのだったら、僕も相当偉大な存在だと考えられるし、僕の存在によって、少しでも発展を阻害されるような日本の純文学というものは、実に貧弱なものだと思う。もっとも、日本の純文学の作家が稼ぐ一月の原稿料の総額は、僕一人の通俗小説の稿料には及ばないだろう。そういった点で邪魔になっているとしたら、たしかに邪魔になっているだろう。


関西名人坂田三吉氏が名人戦に参加したことは、すでに発表されたが、坂田氏が僕の勧誘に応じて名人戦に参加したことは、近来の壮事であると思う。坂田氏は、過去において、たしかに名人を名乗ってもよい時代があったのである。ただ、名人に対する王道が開かれていなかったため、強引に名人を名乗ったため、遂に長年の孤立となったのである。が、孤立のままで晩年を終らせることは、坂田氏のためにも、日本将棋界のためにも遺憾である。ことに、棋譜の極めて少ない人だけに、このまま埋もれることは残念であろうし、また名人戦としても、坂田氏を除外したのでは、そこに一抹の翳影が残るわけである。今度の参加は、その意味において最も正当な手筋だと思っている。六十九歳の老齢にかかわらずすこぶる元気だが、何といっても多年盤面から遠ざかっていたことは、大きな不利である。最初の二、三局は、そのために不振かも知れないが、やがて坂田氏本来の面目を発揮してくるだろうと思う。

(十三年七月)


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