講談社の野間清治氏が死んだ。野間氏は、明治大正以来、日本の雑誌出版における偉人である。四、五年来は、年に一、二回ずつ会っていたが、会った感じもなかなか大人物らしくってよかった。有名な政治家や実業家に会っても、その人の仕事がはっきり分からないせいか、その偉さが納得いかぬ場合もあるが、野間さんは、その仕事のやり方が手に取るように分かるせいもあって、自分は心から偉いと思っている。
政治家や実業家は先人の道を辿って大をなした人が多いが、野間氏は、全く自分自身切り開いた道で成功した人で、ちょっと類のない人だと思う。この人は、もっと 世間的にもてはやされ、もっと有名になっていい人だと思っていた。新聞というものはおかしなもので、大広告主のことは、悪口を書かない代り、決して褒めないものだ。野間氏は日本一の大広告主であっただけに、新聞では何も書かれなかったし、講談社以外の雑誌は商売敵なので、ほとんど書かないし、といって講談社の雑誌ではいくら書いても手前味噌になったし、その点で、野間さんはずいぶん損をしていたと思う。ほかの仕事をやっておれば、もっと華美な名声を得ている人だと思う。
一昨年だったか、文芸会館建設の寄付金を貰いに行ったところ、「先生方がおやりになるのでしたら、いくら出せとおっしゃっても決していやとは申しませぬ」と、いってくれた。それから、一昨年、丸山鶴吉氏が、東京市政革新のために、新しい市会議員を出すことになり、僕も出たわけだが、その費用は全部市政革新同盟で負担し、候補者は一文も使わなかった。その費用の出所が分からないために、ぐずぐずいわれたとき、丸山さんは「この金は、市政に何の関係もない人が出してくれたのだ」といっていたが、野間さんの死について、丸山氏が追悼している言葉の中にその金が野間さんから出たのではないかと思われる節がある。そうした金は、野心も名誉も何も伴わない義金とも浄財ともいうべきものだろう。
(十三年十二月)
| 目次 | 《前 後》 |