近衛さんが、首相をよしたことは、近衛さんの健康や気持の上で、やむを得なかったことだろうと思う。もっとも春秋に富む近衛さんは、今後も国民の期待するところが多いだろうから、この際休養をしてもらうことは、かえっていいことかも知れない。非常時局展開のために、庶政革新の点では、目ぼしい業績は我らが最初期待しなかったが、しかし歴代の首相中、近衛さんぐらい、国民に親しまれた人は無いだろうと思う。今までの首相の演説や訓示などは、政界や役人だけを相手に話していたもので、一般大衆とは没交渉であったが、時局柄とはいえ、国民一般ことに女性までが、首相の演説をしみじみ聴いたのは、近衛さんの人徳によるところが多いと思う。近衝さんの演説は、言葉も清新で、中庸を得ており、ところどころ実感がこもっており、直接に国民の感情に訴えるところが多かった。一体、役人の演説は一般に下手で、役人のラジオ放送で面白いものなどは希有であるが、近衛さんの放送演説は、実際に国民を感動させていた。
東京朝日のインテリ兵士座談会て有名になった太田慶一伍長の未亡人の手記が「新女苑」に出ていたが、同伍長が妻子に残した遺書の中に、
一、算之介、伸二共、いかなる職業につくとも、学問と芸術を愛することを忘れざるよう訓育すベし。とあった。
これは、実に立派な嬉しい遺書だと思う。同伍長が、勇敢なるインテリ兵士の模範といわれたのも、なるほどと思われる。
芸術を利用するということでは、芸術は少しも進歩しないのである。芸術の利用価値などは知れたものだ。国民が、芸術を愛することによって、初めていい芸術が生れるのだ。そして、よい芸術が国民の文化に貢献する価値は、芸術の利用価値などに数倍するだろう。
(十四年二月)
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