米国が、故斎藤大使の遺骸を、巡洋艦アストリア号で送還するというニュースは、ややもすれば険悪化せんとする日米関係に、一陣の春風を吹き送った思いがする。これを機会に、日米関係などはもっと明朗化する必要があると思う。鶴見祐輔氏だけにまかしておくべきことではないと思う。
米国が軍艦を派遣するのは、大統領の友誼もさることながら、斎藤大使が、米国の朝野から親しまれていたためもあると思う。今度新しく出た外交新聞(いつか書いた「聞人」と同じようなパンフレット)は、ほとんど斎藤大使のことを書いているが、それによると、斎藤さんという人は、相当秀れた人物であったようだ。
平沼首相が、官吏の独善ということを戒めておられるが、時弊に触れた言葉だと思う。民間の文化事業などに対する取締りや統制を官庁がやるのは、悪いとはいわないが、そういう場合は、広く民間からも意見を徴して、大方針を定めてから、それによって行動すべきだと思う。一課長や、一事務官吏の独善のはなはだしきものだと思う。
岡本綺堂、岡本かの子の両岡本氏が、相続いて逝去された。岡本綺堂氏は、劇壇の長老として、その脚本は僕なども青年時代、愛好したもので、多少の影響を受けたと思う。「鳥辺山心中」などを初めて見た感激は、なかなか忘れられない。綺堂氏と僕とは交際はないが、人格的に篤実な人らしく、二、三年前、文士仲間で文芸会館建設の寄付金を募ったとき、綺堂氏は、申込みと同時に千五百円という金額を払い込んでくれた。文士は申込みばかりで、まだほとんど払込みが済んでいないとき、文士としても予後備に属する岡本氏の振舞いは同氏の律儀さを示すものとして、有難いことだと思っている。
岡本かの子さんは、幾度も交際(つきあ)ったことあり、天真爛漫童女のごとき性格の人だった。いつか逗子の話をしていたが、「逗子は、品川より遠いんですか」と、心から驚いていた。夫君の一平氏とは、希に見る美しい夫婦仲であったから、一平氏の愁傷は、さこそと思われる。
菊池寛賞の第一回が、徳田秋声氏に贈られることになった。徳田さんなら、誰人も首肯するだろうし、第一回の受賞者として、該賞の権威にもなる人だと思った。
なお、芥川賞、直木賞、菊池賞の授賞を行う財団法人日本文学振興会に対し、本年度も、文藝春秋社から、昨年度と同額ぐらいの寄付金をする予定である。三、四年の後には、利子だけで十分授賞を行い得ることになると思う。そうなれば、一雑誌社の盛衰と離れて、永久に基礎が確立するわけである。こういう機関ができたことも、結局は読者各位の本誌に対する支持の賜物である。
(十四年四月)
| 目次 | 《前 後》 |