話の屑籠・昭和十四年

左翼が盛んであった時、彼らはずいぶん新しい言葉を使った。この数年来、右翼や日本主義が盛んになると共に、また新しい言葉が使われる。

新しい思想を宣布するには、新しい言葉が必要であり、文章に新しい色彩をつけるのにも、また新しい言葉が必要だ。しかし、わが国に、それに相当する、正確な言葉があるのに、生硬な新語を代用して、得々としている者が多いのには驚く。ことに、日本主義を称える人たちが、左翼風の言葉を平気で使っている。日本に古来からある古語を生かして使えば、どんな新鮮な文章でも書けると思う。


しかし、日本語をいかにすべきか、漢語と大和言葉をいかに調和するか、漢字をいかにすべきか、平仮名、片仮名をいかにすべきか、振り仮名をいかにすべきかは、官民合同の大委員会を設けて、三年なり五年なりの期間をかけて、慎重協議した後、適当なる成案を得て断固実行に移ることが、国家の将来のために非常に緊急なことではないかと思う。我々の子孫に、我々が知っているほどの漢語や漢字の知識を課することは無用なことだという気がする。


僕は、去年支那へ行った時は、支那語は全然やらなかったが、今年行ったときは、二、三日支那語をやってみた。発音は、四声があって、とても難しいと思ったが、しかし単語や語法は、やさしいと思った。ことに、単語は我々日本人には、すぐ理解できると思う。「遠慮をするな」が「別客気」だ。「同じ」は「一様」だ。

とにかく、日支親善を計るにも、大陸への進出を企てるにしても、支那語の習得が、第一だと思う。

(十四年六月)


目次 《前 後》