話の屑籠・昭和十四年

同郷の先輩三木武吉氏が、報知の社長になった。

これは、案外適任だと思った。欲には、もう四、五年早ければと思った。しかし、熱と力に富むこの人のことだから、何とか新しい発展を掴み取るのではないかと思う。


「東京日日」で、身辺相談をして以来、今でも婦人たちからの身上相談の手紙が、毎日二、三通は来る。いろいろ複雑な相談を持ちかけて来る。

この外に、男性からの就職依頼の手紙、無心の手紙など、いろいろ来る。よくよくの場合の外は、返事を書かない。結局恨まれているだろうと思うが、仕方がない。


先日、ある日本料理の店へ行ったら「総努力総親和」という額がかかっている。(おや平沼さんが書いたのか)と思って、筆者を見たら、渋沢栄一書とあった。渋沢さんも、こういう言葉を使っていたのであろう。

(十四年七月)


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