永田秀次郎氏が、鉄道大臣になったのはいい。永田さんなどは、軍人畑や官僚出身の大臣に比して、民衆の信望といい貫禄といい、数倍するものがあるように思う。この頃のように、大臣になってから初めて民衆に知られるような人ばかりでは、はなはだ心細い。大臣はつまり国家の顔役だ。やはり普段から、民衆に知られ、民衆に人気のある人でなければ、仕事も捗(はかど)らないのではないかと思う。
永田さんについて連想するのは、下村海南氏だ。この人も、講演振りなどを聴いていると、永田さんとどっかよく似ていて、民衆にも人気がある。この人は、いつか大臣になりそこなったが、その言説などを聴いていると、自由主義どころか、憂国慨世の士だ。「ラジオと講演の名士」にしておくのは、惜しいように思う。
火野葦平は、「糞尿譚」は、もとより、「麦と兵隊」の中でも、糞のことを平然として書いている。しかし、あれは火野君の創始ではない。古事記には、至るところに、糞のことをかいている。糞のことを平然と描くことは、剛健素朴な味があり、日本文学の伝統の一つかも知れない。
今年は、紀元二千六百年で、日本歴史の諸事実が、新しく顕揚せらるべきだと思う。しかし、国体明徴の意味で日本史を説くならば、神武御東征と吉野朝の勤王史と明治維新の勤王史を説けば、十分だと思う。鎌倉時代史などは、説く必要がない。武家政治の功績は、元寇(げんこう)の撃退だけだと思う。吉野朝と維新勤王史を通じて、その功業といい言説といい日本無双の忠臣は、北畠親房卿だ。卿の功業は、こういう機会にこそ、顕彰せらるべきだと思う。
国体明徴には、名分を正すことが第一だ。先日、学生の思想調査をした時、男の専門学生の崇拝する人物の筆頭が、西郷隆盛だというのを知って、自分は眉をひそめた。西郷隆盛はどんな大人物かも知れないが、とにかく賊軍の大将だった人である。動機がどうあろうと、その心裏がどうあろうとも、国法に背き国憲を犯した人が、学生に最も尊崇されているということは、差し支えのないことだろうか。
もっとも現在の学生は、歴史の知識に暗く、史上の人物など、考えてみたことがなく、ただよく名前を聞く西郷隆盛が、手頃であったのであろう。ついこの間、自分は、今年三月専門学校を出る二、三の学生を試問したら、彼らが「古事記」や「太平記」が何を書いた本だか知らなかったので、こちらが茫然としてしまった。
最近海外から帰って来た知人の話に、日本ぐらい、新聞や雑誌が内閣のあら探しをやる国はないだろうといっていた。内閣がいくら変っても、そんなに有力内閣の出現しそうもない現状では、現在の内閣を支持鞭撻(べんたつ)して、事変の解決に当る方が、国策に順応する道ではないだろうか。事変中に内閣が幾度も変ることは、それ自体、日本の弱体を世界的に、さらけ出すことではないだろうか。
自分も、すっかり社会人になったためなのだろうか、この頃いろいろな方面に、関係している。自分で、肩書を数えたら、十一、二あるのには驚いた。その中で、放送局の編成委員だけは、今度任期が来たのでよした。これも、怠けて月一回の会議にもあまり出なかった。しかし、出たとき提言したことは、たいていは採用された。プログラムの編成ということもなかなかむつかしいことだ。雑誌の編集とよく似ている。
それが、三百六十五日休みなしだから、当事者の苦心は、並たいていではない。
(十五年一月)
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