話の屑籠・昭和六年

早慶戦第一回に、男の子を連れ、見物に行く。内野スタンドの座席は、すでに立錐の地なく、仕方なく通路に腰をかける。しかるに、後から来る人、上に行かばよき場所あらんかとて上り、上りたる人は場所なきため、ひっかえす。その往復にあたり、脚にて腰肩などに触れられ不快言語に絶す。いっそ、帰らんかと思えども、通行至難にして退場すべしとも思われず、はなはだ当惑したりき。

昨年の早慶戦には、警官の臨場多く、通路にはいっさい座らさず、しかも試合始まるや、警官たち一斉に通路に腰かけしを見て、苦笑せしが、今年は通路に腰かけても制する人の無かりしはせめてもの幸いなりき。


余は、二十年来の早稲田びいきなりしも、昨秋は法政びいきになり、今春の初めは明治びいきなりき。慶応はつねに嫌いなりしも、宮武の選手たりしあいだ、同郷遠縁の間なる故、その成功を祈りたりき。されば、早慶戦などには宮武には手柄をさせたく、早稲田には勝たせたく、はなはだ困りたりき。しかしこの頃は、ほとんど一定のひいきなく、その時その時に、ひいきがきまるようになった。


予が家庭にては、妻および女中は大なる早稲田びいき、十四になる娘および書生は慶応びいきなり。予が家の付近は、早稲田に近ければ商家などの早稲田びいきなるも当然なれども、第三回戦の得点経過を掲げて、早稲田大勝す、早稲田断然勝つ、などしたるまではよけれども、その得点を5A対4としたることおかしけれ、Aをひいき心に付けたるなるべし。


徳川夢声は、映画界の人として、気品稟質の見るべきあり。予もそのつっぱなしたる如き漫談振りを愛する一人なるが、この頃「夢声軟尖集」なる本を出す。ユーモア文学として推奨するに足るべし。カツベンとして失業せば、ユーモア作家たるの資格なしとせず。勉むれば、佐々木邦ぐらいのユーモア小説は、きっとかけると思う。


口語訳などしたる場合、たいていの作品はつまらなくなるものなれども、口語訳にてもなお面白味の残るところに、西鶴の非凡なるを知る。日本の昔より、現代に至るまで、西鶴現代語訳の仕事を引き受けて、久しぶりに西鶴を読み返しそのことを痛感した。


講談社の評判講談全集の中で、十返舎一九の膝栗毛をよむ。原作を講談にしたるものというとも、会話は原作のままなるべし。少しも大事件がなく、些末の小事件ばかりにて、しかも淡々として面白きは、さすがに当時大流行せしだけあり。事件が、きわどくばかばかしいと思っていると夢であったりする。


余は、数カ月前「講談倶楽部」に、「吉良上野の立場」という小説を書き、吉良上野が必すしも悪人にあらざることを描きたるに、吉良の旧領参州横須賀村の村長田中梅太郎氏、わざわざ上京し、余に感謝の意を述べらる。吉良は、義央(よしなか)の横死と共に、家断絶したれば、二百年前の旧主にして、現在とはあまり関係なきわけなるに、その旧領の民なお義央の善政を慕い、いささかにてもその汚名の雪(そそ)がるるを喜ぶは、吉良が、忠臣蔵の芝居に見るがごとき悪人に非ざる何よりの証拠というべし。赤穂義士の忠を輝かさんために、吉良はあくまで、踏み台にされてしまったのである。義央と内匠頭の喧嘩は、あらゆる喧嘩と同じく、その原因いずれに悪しきか、容易に断じがたきものがあろう。


近頃、拳闘を三、四回見物せり。拳闘は、剣道と同じ。剣の代りに拳をもって戦うもの也。剣道によりて、鍛えられたる日本人の攻撃精神は、早晩拳闘においてもものをいうべく、世界選手権の日本人に帰せんこと、デヴィス・カップなどよりは、はるかに早いと思われる。

(六年八月)


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