東京朝日の女性相談という欄に、先日一人の女性が相談を持ち込んで曰く、現在の夫と結婚する一月前に、思師にただ一度許したところが、妊娠した。だから、長子は現在の夫の子ではない、婚後四、五年になるが、良心の苛責に堪えない、どうしたらよいかと。これについて前田多門氏が答えて、夫に打ちあけて清算したらよいだろうと。だが、そういうことを打ちあけたら、この妻が不幸になるのはもちろん、夫も子供も三人とも不幸になること、目に見えるようである。外国の近代劇には、こういう筋がいくつもあって、打ちあけた結果はことごとく惨憺たる不幸になっている。自分などは、もしこの夫であったら、断じて打ちあけてもらいたくないと思う。正しからんがために、周囲の者を不幸にすることは、理想主義のかもす害毒として、多くの文芸家はその作品によって非難しているようである。
身の上相談は、古くから都新聞でやっている。都新聞の担当者は、どういう人か知らないが、いつも穏健厳正で、第三者として納得する場合が多い。アメリカでは、相談専門の雑誌があり「答(アンサーズ)」という名だそうである。
東京で、オレンジエードのいちばん安いのは、富士アイスクリームの二十銭であろう。高いのは、風月堂の一円である。だが、風月堂の一円のは、とてもおいしい。
思想善導などといいながら、マルクス主義に対し、堂々と批判し、説破する学者や教育家がなぜいないのだろうか。ただ過激思想だとか、悪思想だといっているだけでは、田舎の青年だって、なかなか納得しないのだろうと思う。宮城裁判長程度でいいから、正面からぶっつかる学者がなぜ出ないのだろうか。
南陸軍大臣が、満豪問題について、気炎を揚げたのは、明治三十七、八年頃の日本に還ったような気がして、愉快だった。
自動車もだんだん安くなった。社のK君が買ったシトロエンの古物は、二百五十円である。それでとにかく、堂々とうごくからたいしたものである。トラックの古手になると、三十円ぐらいのがある。
この頃、本社の雑誌に載る広告に、自分が推薦的なことを書いている。目ざわりになるかも知れぬが、自分が一言書けば広告を出すという広告主があるので、つい書くことになるのである。しかし、心にもない文章は書いていない。
直木三十五という男は、不思議な男である。木挽町の文藝春秋社クラプなるものに起居しているが、毎晩十一時か十二時頃までは、麻雀をやっている。それが終ってから原稿を書くらしいが、それで新聞を三、四種、雑誌を三、四種書いているのだから、駭(おどろ)く外はない。おそらく、十二時頃から明け方の六時頃まで書くのだろうが、あきれたものである。僕などは、夜は一行だって書かない。まして徹夜などして一行だって書こうとは思わない。
去年も書いたが、危険な登山などをして、死ぬ人間の心持ちは、とうてい僕には分からない。今年も、登山で二、三十人は死んだらしい。そんな犠牲を出してでも、登山は必要なものかしらと思う。もっとも、僕は心臓が弱くて山登りが大嫌いなせいもあるが。
中野正剛氏の子供が死んだのは、気の毒だった。だが、中野氏が、子供の遭難を聞いて「男の子だから当然だ」とか何とか元気に話していたが、上野駅でその遺骸を迎うるや、声を放って号泣したというのは、いかにも親らしくてよかった。
登山で死ぬなどは、何だかつまらない気がするが、一月ぐらい前の新聞に、茨城県がどこかで十一になる姉が溺れるのを、九つになる妹が救わんとし、二人とも溺れかけたのを十四になる少年が助けんとして三人とも死んだなどは、悲惨であるが、しかし人間の本能の浄らかさ神々しさを示すものとして、また我々に人間本能の尊さを信ぜしめるものとして、その死やむだではない。
井伏鱒二君が、少年時代鴎外博士にウソの手紙をかいたことを時事新報に告白している。少年時代のいたずらはよいが、それをいまさら告白することがいけないと思ったので、大いにやっつけてやろうと思っていると、ちょうど同君から、「仕事部屋」という創作集を送ってよこしたので、つい気の毒になって、やっつけることはよすことにした。
松竹のトーキー「マダムと女房」というのを見た。日本のトーキーを見るのは初めてで、他のものと比較できないが、日本のトーキーも、これまで行っておれば、立派なものだと思った。伊達里子を初めて認めたのは、僕じゃないかと思うが、だんだんよくなっている。映画女優の中で、一人前の女らしく見えるのはこの人だけだ。
(六年九月)
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