正宗白鳥氏が「改造」十月号で、「南国太平記」のことをけなしておられる。自分は、あの作を二、三度推奨した責任上一言したいと思う。もっとも、正宗氏のわるく書かれているすぐその次で宇野清二君が、「南国太平記」の立ち回りを大いに認めているので、自然の反駁になっているわけである。
正宗氏は、呪咀調伏などばかばかしいといわれるが、しかしそんなばかばかしいことをかいて、しかもあの程度の凄味を出していることを、自分は認めるのである。最初、首のない犬の死体を出し、その次にその犬の飼い主の猟師が斬られる悲鳴を聞かせてから、調伏の行われた場所を描写している順序などうまいものだと思うのである。つまらなくてよしたくなったという正宗氏の気持ちは、自分には、とうてい分からない。夏目さんは、「俺には芝居はつまらない」といっておられたそうだが、幻覚を持てない人には、芝居はどこまで行ってもウソなのである。正宗さんなども、太衆文芸的幻覚には、陶酔できないのではないかと思われる。宇野君が褒めている高野山の乱闘のところなどでも、何とかいう浪士が小太郎に「斬られるままに斬られていた」光景などは、一読しただけで今でもほうふつとしているほど、感心している。正宗氏が「南国太平記」の引き合いに褒めておる「赤穂浪士」など、自分はつまらないと思う。僕は、あの作品を読んで、作家としての大仏氏を大いに認めたが、あの作品はつまらなかった。当時、正宗氏が、あの作品を批評しておられたのが、おかしいぐらいだった。自分は、直木が友達だから弁護するのではないが、自分のよんだ「南国太平記」上巻は、大衆文芸として傑作だと思っている。
僕の使っているTという男、神宮外苑の外野に行き、野球を見たが、初めてなので、何にも分からない。傍人にいろいろきく。「今の球はあれは何ですか」「ヒットです」しばらくして「今のは何ですか」「ヒットです」「でも先刻のと方向が違っていますが」
牧野博士の座談会は、たいへん面白かった。博士が、マルキシズムに対し、はっきりとした見解と態度とを持っておられるのは、さすがだと思う。たいていの学者は、ことマルキシズムに関すると、いい加減にお茶をにごしてしまうのだが。
速記になったかどうか分からないが、牧野博士が現在の傾向として、企業それ自身(ウンルネーメンアンジヒ)を尊重することが立法の精神になりかけているといわれたのは、もっともだと思った。事業とそれに従事している人々の利益が考えられて、資本家など、だんだん無視されてくるわけなのだろう。文藝春秋社なども全くそれで、雑誌を出すこと、社員がどうにかやって行くことが精いっばいで、ちっとももうからなくなってしまった。
(六年十一月)
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