また小学教科書の接木の話のことを書くのは、くどいようであるが、あの接木の話の起源が分かったので、ちょっと書いておく。その一つはペルシャの王が猟に出て、胡桃の苗を植えている白髪の翁と会い、「お前がいま胡桃を植えたとて、実のなるまでは生きていられまいが」ときくと、「一向いといません。私も、生れてから前人の植え残せし胡桃の実を食べましたれば、その代り新しい木を植えて後人に残すのが道と考えます」と答えたので、国王が、「これは名言じゃ」と感心する話。もう一つは、室鳩巣の駿台雑話に、将軍家光が江戸郊外の寺へ微行で立ち寄り、老僧が接木をしているのを見て、「その年をして接木をするのか」というと、老僧は「心なきことをいう人かな、自分が接木をしておけば、後住の代になればこの寺も黒みわたり風致がよくなるのだ」と、いってたしなめる。後で将軍だということが分かって老僧が恐縮すると、家光が老僧の言葉に感じて、かえって物など与えるのである。教科書の話は、多分この家光の話の改作であろう。そして、頭のわるい改作者は、将軍家光を下男の太七にしたのはいいが、言葉だけは将軍らしい威厳をもって、「その年をして」となってしまったのである。改作するとすれば、次のようにすれば、極めて無難である。
太郎が、隣のおじいさんが、接木をしているのを見て、
「隣のおじいさんは、あの年をして、どうして接木をなさるのですか」
というと、太郎の父がこれをたしなめて、接木の教訓を与えることにすれば、何ら差し支えも起らないだろう。
小学教科書における文章、とりわけ韻文の拙さなど、いうもおろかである。その他、装幀の汚らしさ、定価の不廉など、あきれるばかりである。政府で、十種もしくは二十種もの教科書を作るくらいの熱心さがなければ、むしろ民間に委ねた方がいいと思う。教科書の編集くらい、五十万円も金をかけたら、十種くらいいろいろな種類の教科書ができると思う。
陸軍関係が、陸軍記念日に僕などにまで、招待状をよこした。陛下が臨御になる宴会場に列席し得られるなど、こういう機会でなければないのだが、服装の関係で、欠席する外はなかった。それにつけても思うのは、文部省主催の帝展が、多年われわれ作家のところへ招待状一枚もよこさないことである。一国主催の美術展覧会に、その国の作家を招待しないというようなことが、外国などにあるだろうか。ばかばかしい話である。
近頃、言論がへんな風に圧迫されているような気がするのは、はなはだ不愉快である。大新聞紙の論説までが、自由独立の風がなくなっているのは、困ったものである。争臣なくんば国亡ぶというが、争臣的言説主張が少しも見られなくなっているなど、はなはだ心細いことである。
総選挙には、片山哲氏のために二日にわたって応援演説をしたが、惜しいところで破れてしまった。無産階級の階級意識の成長など、はなはだ心細いものだと思った。選挙が現在のような制度で行われる限り、無産党など、日本で発達する見込みなど、ないのではあるまいかと思った。
社会民衆党の反資本、反共産、反ファッショの三反主義など、心あるインテリ階の支持を受けるに違いないと思われるが、現在のように無力無人では、どうすることもできないだろう。ガンジーだとかヒットラーのような、大衆を魅了するような人物の出ない限り、当分発展の見込みはないだろう。
ファッショ文学などいうものが、起るかも知れない傾向がある。しかし、ファッショ文学だとかプロレタリア文学などは、一種の御用文学である。文学としては、第二義、第三義のものである。文学の正当なる立場は、いかなる時代が来ても、自由主義以外にはないであろう。文学および文学者は、常に時代および生活について第三者の立場にあって、これを公平に批判し表現するのが、その職責であろうと思う。しかし、世の中が険悪になると、自由主義的な立場を守るということも、相当困難でかつ勇気を要することになるだろうと思う。
(七年四月)
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