話の屑籠・昭和七年

自分が「話の屑籠」に書いた文章について、鳩山文相がわざわざ手紙をくれた。接木の話のことは訂正してくれるとのことである。やっぱり鳩山文相は、明るくて物の分かった大臣である。おおっぴらに、敬意を表しておく。


昨日四月十日、花見に飛鳥山へ行ったが、花は咲いていず、若木の桜の下に、無数の人が、しょうことなしに、うずくまっている光景はむしろおかしかった。東京市内では、植物園の桜が、第一である。

しかも、ここの花はすこぶる早く、気がついたときにはすでに散っている。いつの年か三月三十一日であったと思うが、芥川と二人、植物園へ行ったことがある。少し、花の早く咲いた年で、見頃であった。その後、そういう時に行きたいと思いながら、果たさない。


自分は、同県人にて、困っている人に限り、金若千を与えることにしてある。先日も戸籍騰本を持って来て、合力を乞うゆえ、金を扶に入れて会いしに、何となく讃岐人らしからず、木田郡の人なりというゆえ、屋島を知れりやというに知れりという。八栗を知れりやというに知らず、およそ八栗は、屋島と、数丁の江湾を挟みて相対し、山峰五つに別れし奇峰にして、五剣山ともいう。柴野栗山の雅号の起る所、讃岐にては屋島同様に有名なり、まして木田郡の人にて、郡内の名山を知らざることやあると思い、金を与えずして去らしめき。

(七年五月)


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