拳国一致内閣ができてみても、顔触れの貧弱なのに、誰も失望しただろうと思う。しかし、理想的な挙国一致内閣というのを想像しても、秀れた政治家など、いないのだから、いやになる。明治二十年頃には、有為の青年が政治に走ったが、明治の末年以来、政治家志望なんていうことは、古くさいことになっている。小金をためた弁護士とか、ちょっと学校教育を受けた田舎の金持の副業になっているのだから、よい政治家が出ないのは当然である。
選挙制度というものが、既成政党の武器で、それがあるために腐敗した攻党政治がいつまでも改革されないのであるから、選挙制度など全廃し、各府県別に代議士の資格試験を行い、それに合格したものを代議士にするといいと思う。そうすれば、情実や金力などでなく、学識と識見のある有為の代議士ができると思う。
犬養さんなど、いわゆる腐敗せる既成政党の元凶ではなく、まわり合わせで総裁になったのにすぎないにもかかわらず、ああいうことになったのは、気の毒である。しかし、最期の有様は立派で、大見得など切らず、大言壮語などせず、吸いかけた煙草に火をつけようとしたところなど、洋の東西を問わず、今まで暗殺された人の最期としては、異色を放っている。犬養さんは、西郷隆盛の従容たる最期をかねがね推奨していたそうだが、犬養さんの最期はそれよりも立派かも知れん。
日本現在の生活難を緩和する方法の一つとして、なぜ産児制限をやらないのか不思議である。物資や事業より人間の多すぎることが、生活難、就職難の根本的な原因である。それに、産児制限は、十年百年の計ではなく、翌年からすぐ効果が上がるのである。五十円の金で三人生活するのがリミットであるのに、それが四人になり五人になるために、生活がますます苦しくなるのである。なぜ合理的な産児制限を実行しないのか、不思議でならない。
(七年七月)
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