最近女性に関する問題で、世間をさわがしているのは、鳥潟博士の令嬢の事件と、中野フェリシタ夫人の事件と二つである。
鳥潟博士の令嬢の場合は、ああいう令嬢の態度は是認できるし、いい加減で妥協する日本婦人の中に、徹底した行動に出られる女性が生れいでたことは頼もしく思われる。非難すれば、恋愛結婚でないために、それを許すだけの愛情がなかったわけで、あれほどのお嬢さんがなぜ恋愛結婚をしなかったかという点だけである。
フェリシタ夫人の場合は、日本に味方のない無告の夫人に対して、夫側の人々が勝手なことをいっていたのが、はなはだ不愉快であった。外国の婦人を日本に連れてくれば金がかかるのが分かっているし、また人情や国語の相違から、夫婦生活でかなりいろいろな危機に瀕することが分かっていた以上、ああいう夫人を連れて来た夫の側に最初からあらゆる責任があると思うのである。あの夫人が新聞に出ている五倍ぐらいわるい夫人であったにしろ、夫たるものは辛抱するのが当然である。それを離婚訴訟までして片づけようなどとは、はなはだ残酷である。日本の男子は、もっとギャラントであっていいと思われる。それを新聞までが、夫側に味方して夫人を悪く書いてあったのは怪しからないと思った。天涯孤独の一婦人に対して、もっといたわってやってもいいではないか。
邦枝完二君が「日日」の夕刊に書いている「江戸役者」は、割合丁寧ないい仕事をしていると思うし、邦枝君も昔から比ぶればずーっと腕を上げていると思った。もっとも、ときどき読むだけだから、全体としての出来栄えは分からないが。
以前にも書いたことがあるが、この頃僕のところへ来る手紙など、十中の八、九は未知の人々からの無心状である。今日来た手紙なども、一家の窮状を細々と述べ、群馬県から横浜の伯父のところへ金策に来たが、伯父が鉄工所を持っているというので行ってみると、みすぼらしい鍛冶屋なので、金策の話はできず、このまま故郷へ帰るが、明日は支払いの期限なので、一家を救うと思って、二百五十円だけ故郷あてに電報為替にして送ってくれというのである。電報為替で送ってくれなど、虫がよすぎるといって、笑ってすませられないみじめさが感ぜられる手紙である。
(八年一月)
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