正月三日から、スキーに行くという子供に強いられて草津温泉に行った。軽井沢から草津へ軽便鉄道の沿線は、風光壮絶である。それよりも、草津へ行って浅間がすぐ間近に見えるのは、意外だった。草津の運動茶屋スロープというのは、初心者向きのスロープであろうが、北には白根の噴煙をのぞみ、西南には浅間の噴煙をのぞみ、パノラマのような風光であった。自分も、スキーを試みたが、四、五回転げたので、すぐよしてしまった。子供たちは、到着の日より進歩めざましく、ゆるいスロープはすぐすべれるようになっていた。旅館は、山本館というのであったが、一家親切で、ことに番頭は若い文学青年で、いろいろ世話をやいてくれた。土地の子供は、六、七歳の幼童まで、簡単なスキーを穿き、杖なしで猿のようにすべっていた。
大毎の本山社長が逝去した。自分は大正八、九年頃、大毎の客員であったので、四、五回会ったことがある。風貌堂々として、大臣級の人だと思われた。「真珠夫人」が成功したとき、同氏は記念にというので、真珠を贈ってくれた。その頃、真珠の養殖事業か何かに関係していられたのではないかと思う。その真珠は、指輪にして妻に与えたが、自分にとって記念物の一つである。
去年の末、浅草のエノケン一座や新宿のムーラン・ルージュなどを見たが、いずれも面白かった。築地にいた某君などが、何か非常に堕落するつもりか何かで、エノケン一座に変名で加入しているなんかおかしいと思う。どんなに高級だろうが、芝居として成り立たない築地などは、どっかに欠陥があるので、低級とか何とかいわれても成り立っているエノケン一座などにこそ、新しい演劇の萌芽があるのである。
身の上相談が流行であるが、どうせ相談に来る人などは、易者のいわゆる盲者である。どこか考えの足らない人たちである。人に相談してもどうにもならないことが分かっている連中などは、てんで相談に来ないのである。だがふらふら迷っている人たちには、ああいう回答も効果があると思う。各新聞の回答の中では、都新聞の無名氏の回答がいちばん穏健親切である。
「話」という雑誌をいよいよやる。今まで「文藝春秋」以外は、何をやっても損をしているが、今度はどうにかして収支償うようにやりたいと思っている。「話」は、創作、感想、批評この三つを入れない、純然たる事実、解説、知識、興味、趣味の雑誌にしたいと思っている。
(八年二月)
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