話の屑籠・昭和八年

新渡戸博士が、海外において客死された。博士は、現代における自由主義インテリゲンチャの大先達というべき人で、博士ほどの教養のある人は、今後容易には現れないだろうと思う。国際人で、欧化主義者のように見えていて、その根底において、忠君愛国主義者であることは、いつかの貴族院における名演説でもわかるし、先年の上海における太平洋会議で日本のために支那代表と論戦したことでも分かっている。

三年前の秋であったか、社の座談会果てて後、速記が無くなってから、日本の現状を憂えていられた真摯な面影は、なお髣髴として残っている。

人間としても、相当達人の域にあったことは、いつか強盗に見舞われたときの綽々たる態度などによって示されたと思う。

僕が、一高にいた頃校長をしておられて、倫理の時間に、モダン道話といったようなものをやっておられた。「子供のときお湯屋へ行って、子供の風呂があると思って飛び込んだら、おか湯であった」といった風なしゃれや冗談を交えた、ごく打ちとけた話し振りであった。

僕とは、個人的には何の交渉もなかったが、ただ一高にいたという縁故だけで、先年僕が立候補したとき、二月半ばの雪のあの寒夜に、二、三夜も応援演説に来て下さったが、そのときかなり身体を悪くしていられたとみえ、人に手をとられて、危なかしく自動車に乗降しておられた姿が、今もありがたく眼に残っている。


上司小剣氏が、先月の中央公論に書いた「U新聞年代記」というのは、なかなか面白いよみものであったが、中に尾崎紅葉が、U新聞で催した歌舞伎座上演脚本の投票に、わらじばきか何かで、自作の当選運動をしている姿が描かれていたのは、感慨深かった。その時代の芝居国が、いかに城壁を高くした独立王国として威張っていたかが分かるし、紅葉ともあろうものが、自作当選の運動をしたなど、我々の想像も及ばないところであった。


岡山県で、巡査が銀行員を殺し金を取ったが、その金を一文も使わないうちに、すぐ捕縛されたし、つい最近には、運転手を殺し自動車を強奪しながら、すぐその自動車を遺棄して逃走したり、死刑になるような罪を犯し、結果的にいうと、ただ徒らに人を殺し、自分を殺すような犯罪が、だんだん増えてくるようである。これも、世相が険悪になり、生活不安が昂まって来たためであろう。こういう人たちは、悪人であると憎む前に、認識不足から来る愚かしい人であると憐れみたい気持がする。利害打算をはっきりすれば、こうした罪は犯さないで済むと思うが、そういう打算の目が眩むほど、生活が絶望的になっているのかも知れない。


先月号で「光の村」のことを書いたとき、「新しき村」のことを書いたら、武者小路氏から左のごときハガキが来た。

久しく御無沙汰。今文藝春秋の「話の屑籠」で新しき村のことがちょっと書いてあったのでちょっとハガキを書きたくなりました。新しき村は君たちの好意もうけたことがあり、感謝していましたが、この頃おかげでものになり出し、満十五年でやっと村の人の一年分以上の米がとれ、梨も二千貫あまり、お茶も今年から売れ、鶏もいくぶん利益をあげて来て、村にいる兄弟たちは非常に元気で希望に燃えています。これは僕が貧乏したからでもあるようです。「光の村」はよくゆくことを望んでいますが、(光の村は僕たちと目的はちがいますが、人がそろっているようですからよくゆくとは思いますが)僕だったら金があり土地がよかったら失敗したろうと思っています。村はこの二、三年にみちがえるほどよくなってきたのです。

(八年十二月)


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