話の屑籠・昭和九年

昭和九年

自分は、ちょうど五十くらいで死にたいと思っている。自分の心臓の様子からいって、ちょうどその頃うまく死ねるのではないかと思っている、この五、六年来、五十まで生きるつもりで暮してきた。それ以上生きると予定が狂うのであるが、それまで生きていられないのは、たいした苦痛ではない。


自分などするだけのことはしたし、したいと思うこともしたから、いつ死んでも多くの侮いはない。自分が死んだために、多少困る人はあろうが、非常に困る人はないはずである。


ただし、自分は気が若いことは事実で、五十に近いような気はちっともしない。まだ三十四、五くらいの気持ちである。また健康もすこぶるよく、三十年来病気もしたことがない。しかし、心臓が極めて弱く、そのため、ひょっくり死ぬのではないかと思っているが、しかしそのため特別な注意を払ってまで、生きていようとは思っていない。以上数項は、新年の所感である。


「講談倶楽部」の付録の所得税の表を見たら、数百万円の資産がある大事業家や華族などで、所得税が、僕より少ない人がずいぶん多いので憤慨した。公衆の前で稼いでいる人間の方が、より多く課税されるものらしい。僕などでも、五十万円も財産があれば、所得の半分は税金として差し出してもいいと思う。百万円財産がある人間と財産のない人間とが、同じ率でその所得だけに課税されるのは、はなはだ不当だと思っている。


僕は、財産は少しもない。僕の財産を強いて求むれば、数頭の競走馬だけである。


五・一五事件の判決などから、赤穂義士の処刑が問題にされている。赤穂義士がことごとく死を賜うたことは、百世の後、なお気の毒のような気がする。しかし、あの時寛大な処置にあって、みんな生き延びたりしたら、あの事件の影響は五分の一くらいになったのではあるまいか。百世の後懦夫を起たらしめるほどの道徳的効果は、到底得られなかったのではあるまいかと思う。「浄瑠璃坂の敵討」などは、「忠臣蔵」と同じくらいなセンセーションをその時代に起したに違いない。少なくとも半分のセンセーションを起したに違いない。しかし、現在では「忠臣蔵」の百分の一も知られていない。大石の名前は、三尺の子供も知っているが、奥平某などを知っている人は、千人に一人もないくらいである。処刑に対する同情が、百代の後までも残っているのである。


自分は、動物は割合好きである。七、八年前プルテリヤを飼っていた。それはとても、喧嘩好きであったが弱かった。尾崎士郎君の兄さんにやったら、その後宇野千代さんの手に噛みついた。その次の犬は、ポインターの純血であった。これは神経質で、いろいろな人に噛みついて困った。この夏柴犬の子を貰ったが、三匹貰って次々に死んだので、今度は生後八ヶ月の柴犬を飼ったら、一週間も経たないうちに、逃げてしまった。現在では、マルチスという犬を飼っている。現在では流行していない犬種らしい。外に、グレイハウンドを貰う約束があるが、庭が狭いのでまだ連れて来ていない。

(九年一月)


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