話の屑籠・昭和九年

昨年の暮れ池谷君が死んだ。身近の友人が亡くなるのは、芥川以来初めてである。年は、まだ三十四だった。才もあり、芸術的な熱情も失っていなかったから、生きていたら、折から文芸復興の機運に際して、まだいいものが書けただろうと思う。自分が選をした「時事」の懸賞に当選したのが、文壇に出る機会であったし、爾来十年近く懇意であった。その作品や性格については、誰かが書くだろうが、養生を誤って死んだのは、いかにも残念である。

胸のわるい人間は、僕の知合いにも、たくさんいる。だが、みんななかなか死なない。丈夫にさえなっている。池谷君も、それを知っているので「たいていのことをしても大丈夫だ」と、思ったのが、間違いの元であったらしい。僕なども、結核は養生によって必ず治るものと信じている。ただ、境遇上、養生のできない気の毒な人だけが、その犠牲になるのだと思っている。だから、池谷君などがその養生を誤って死んだのは、いかにも残念だある。

僕は、命を惜しむわけではないが、病苦はいやだから、摂生に注意している。二十年近く、風邪もひいたことがない。咽喉でも鼻でも、少しでもわるければあらゆる手当をする。


最近の京都駅の事件は、統制の取れない群衆というものが、どんなに恐ろしいかということを示している。階段の上から殺到した人たちなどは、一生寝覚めがわるいだろうと思う。むかし、深川八幡の祭礼に、永代橋が落ちたとき、群衆は雪崩を打って川中に転落した。後方の人は橋の落ちたのに気が付かず、めちゃくちゃに押した。一人の武士が、太刀を抜いて振り回したので、「喧嘩だ! 喧嘩だ!」というので、後方の人が立ち止まり、より以上の惨害を食い止めることができた。


非常時だというので、いろいろな取締まりまでが神経質になり、弾圧的になるなどは、迷惑千万なことである。この頃、内務省の検閲などは、極端に走っている。自分などは、十五年以上、小説を書いているから、人から注意されなくても、決して則を越えない手心を知っているつもりだが、それでその筋の忌諱にふれるのだから、心外である。


文字によって、小説によって、風紀を乱すことなどは容易に考えられない。春画や春本などだけを禁止すれば、それで十分である。現在遊郭が公認され、玉の井のような私娼窟があり、市街の至るところに、待合があり芸妓がいる。そういう所では、淫靡を極めた俗謡を歌っている。そういうものは、エロ文学などの十倍も百倍も、世の風紀を乱していると思う。それに流行小唄とか、何々音頭などいうものが、小説などより直接に風紀を乱していると思う。


雑誌や小説の読者などは、いわゆるインテリで、しかも活字になっていることは、彼らが知っていることの−−また想像し得ることの十分の一か百分の一くらいのことである。そんなことで刺激を受けるわけはないのである。


年賀状を、いろいろな方から頂いた。略儀ではあるが、紙上で答礼させてもらうことにする。読者の方で、これで八年つづけて年賀状を出すが、一度も返礼がないのは淋しいといって来られた人もあるが、自分は年賀状を出さないのだからあしからず。ただし年賀状を貰うことは、嬉しいことである。


非常時で緊張するということは、言論を圧迫したり取締まりを厳重にしたりすることではないと思う。この二十年来、今日ほど文筆生活が圧迫されているような気がすることはない。


先日、知人の代議士に会ったとき、「どうだ。この頃の代議士は、つまらないだろう」というと、「うん。面白いことはちっともない」といっていた。代議士という職業が、田舎などで、ちょっと成功した弁護士や実業家が、より以上の名利を得んとするための手段になったため、議会政治が堕落して、現在のようなあれども無きがごときみじめな有様になったのである。代議士などは、憂国の士の集まりであるべきである。初期の議会などは、自由民権運動で、血を流した連中が、多少はいたであろう。だから、強権な藩閥政府と戦うことができたのであろう。政友会や民政党の中にも、議会政治擁護のために、生命を捨てる覚悟の人間が、せめて三、四十人もできたら、政党も救われるのではないかと思う。


とにかく、言論の府である議会が権威が無くなっているため、一般の言論や文章までが不当に圧迫されているのは、困ったことである。

(九年二月)


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