直木の全集の講演に行ったついでに、久しぶりに郷里高松に帰った。昭和二年以来である。瀬戸内海が国立公園に指定されたので、お祭りをしていた。栗林公園の花を見たが、桜はわずかしかないがその点在している周囲のために極めて美しかった。また小流の岸に乱れさく白木蓮の数株は、繚乱として、よそには容易に見られないと思った。
某新聞社の幹部が、闖入した暴漢のために斬られたのは、はなはだ気の毒である。しかも、その暴漢と対峙した態度は、十分立派であったと思う。言論に対抗するのに、暴力によるのははなはだ憎むべきである。しかし、現在新聞紙の不用意、不親切、もしくは不当なる記事によって傷つけられたる人間は、いかなる報復手段に出たならばよいのだろうか。新聞紙の誤記、不親切、もしくは冷酷さによって一生癒しがたき傷を受けた人間だって、幾人もいるだろうと思う。そういう恨みは、どんな方法で晴らしたらよいのだろうか。
先日も、熱海で無理心中云々の記事があった。警察で調べてみると、地方の中等教員がある女学生に学資を貢いで女学校を卒業させたところ、その女が変心したため、男が憤慨して短刀をもってこれを詰ったのであって、警察も男の方に同情しているという記事である。その男の立場に同情しているのなら、その姓名は当然仮名にしてやってもよい。しかるに本名がちゃんと書いてある。本名で発表するのと仮名で発表するのとでは、記事としてどれだけ、ニュースバリューが違うか。しかし、それが本名であったため、その男の中等教員としての前途は、おそらく闇の中に葬られるであろう。新聞社としては、その日限りの小些事であろう。しかし、その個人としては、一生を抹殺される重大事である。こういう場合の恨みは、どんな方法で晴らしてよいのだろうか。刀傷は、二週間か三週間もすれば治癒するだろう。しかし、新聞記事の不用意、不親切、不当、冷酷によって、傷つけられた精神的負傷は、一年や二年では容易に治らないだろう。
自分は、今度愛国生命という会社に保険契約をした。昔から、保険嫌いであり、先年そのことを書いたことがある。ところが、今度知合いの外交員が、お医者を連れて来た結果、十五年満期の保険にはいった。僕は、四、五年経てば死ぬだろうと思っているのに、十五年の期限ならば、たしかに得だと思ったから、今度は欣んではいった。「きっと君の方で損をするぞ」というと、向うは「そういう場合には会社の広告になりますから、結構です」といっていた。
(九年六月)
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