話の屑籠・昭和九年

東郷大将の死について、考えることだが、古来救国の大業をなした英雄偉人必ずしも少なくはない。しかし、爾後三十年間も、その大名の下に、一世の敬仰の的となった人は極めて少ない。古のギリシャ、ローマの英雄たちは、蓋世の偉勲を建てながら、晩年国を追われ、民衆に背かれた人が多い。中には、「何々の功業を忘れたるか」と、自ら呼号して、やっと危急を免れた人さえいる。東郷大将の偉勲は、さることながら、爾後三十年重厚謹厳、その大名のもとに身を処した点を、賛してもいいと思う。同時に、日本人が、西洋諸国民に比して、はるかに謝恩敬仰の念に深いことも、よろこばしきことである。


弘法大師の研究をやると書いたら、高神覚昇師から、いろいろ本を送っていただいた。この人は、新しい仏教学者であり、ラジオでやった、般若心経の講義も、評判がよかったらしい。

この頃、邪教的な進行が、かなり盛んになって来ているらしいが、これに対抗して新しい仏教が興ってもいいと思う。


今年の初め頃、海音寺潮五郎という人が僕の家にいないかといって、きき合せの手紙がよく来たり、最後にわざわざ訪ねて来たりする人がいた。

何人かが、海音寺君の名前を偽って、悪事をしていたらしい。本当の海音寺君は、以前中学の先生をしていたことなどもあり、真面目な新進大衆作家である。僕とは何の関係もない。今度、「オール讀物」に出た「転変」という作品を、初めて読んだくらいである。筆致に、直木三十五を思わせるような溌剌なところがあり、構想も相当しっかりとしていると思った。


自分が、直木と議論をした「宮本武蔵第一人者論」は、直木の死後、かれこれいうのは卑怯だが、その後現在の剣道の大家連中がたいてい武蔵研究者であることを知って、大いに意を強うした。府県選士の優勝者である野間恒君なども、「この頃、ようやく武蔵のいった言葉の意味が分かるようになった」と、いっていた。


直木の実弟の植村清二君の「楠木正成」評すこぶる評判がよい。しかし、たいていの歴史研究者に書かすれば、あのくらいなことは書けると思う。あれは、玄人の議論である。ただ、玄人の議論などいうものは、文壇に現れる機会がなかったために、あんなに感心されるのである。ああいう感心の仕方を、「素人の感心」というのである。

(九年七月)


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