先月末、社の講演旅行で、盛岡、仙台へ行ったついでに、初めて平泉を見た。よっぽど、交通不便の所かと思っていたら、汽車から近いのに驚いた。中尊寺もいいが、毛越寺の廃趾にもかなり心を惹かれた。山を背にして、池のある感じが、いかにも大伽藍の跡らしいおもかげがある。山水の様子も心なしか旧都を偲ぶよすがとなるに十分だ。
中尊寺の光堂、また人肌の大日如来などもいいものである。ただ、平泉へ行ってみると芭蕉の名句である
夏草やつはものどもの夢のあと
五月雨の降りのこしてや光堂 の二句が、ぴったりしないので困った。
我々が平泉に対する感じは「つはものどもの夢のあと」ではなくして、古き文化に対するあこがれである。もっとも芭蕉は、歴史家ではないのだから、藤原氏三代の文化などは、分かっていなかったのではあるまいか。「夏草や」の句の前書に「さても義臣すぐって此城にこもり功名一時の叢となる。国破れて山河在り時春にして草青みたり」とあるが、何か芭蕉は、義経が頼朝の大軍に囲まれて討死にしたとでも思っていたのではないかしら。功名一時云々は義経のことであろうが、国破れて山河ありは、泰衡のことでなければおかしい。義臣すぐってこの城にこもりも、おかしい。義経を泰衡が殺し、その泰衡を頼朝が殺した経路など、分かっていなかったのではないだろうか。とにかく、我々は古戦場とか「つわもの」などいう気は起らないで、藤原氏の文化をなつかしく思うだけである。しかし、時代が違っているのだから、その時代には、古戦場らしく荒寥としていたのかも知れない。
柳沢健氏が、僕が「話の屑籠」に、書いたことについて、抗議をして来ている。その抗議に対して、ちょっと答えておく。日本の文学が社会的でない責任には、文士と政治家と半分半分だというのは、柳沢氏の考え違いである。日本の現代文学は、その文学的価値において、欧米の文学と比べて、決して遜色がないと思う。性質は違っているにしても、東洋的深さにおいて、その独自性において、最近の外国文学に比べて、決して劣っていない。自分などは、近頃英・仏・米の「一九三九年度作集」などを読んで、外国小説が、下らないのに駭(おどろ)いているくらいだ。ただ、日本語という難攻不落の障害があって、日本文学の真価が外国に分からないのは、残念である。そして、その障害は、絶対的であると思っている。日本の中学校で、英語をやるように、英仏の中学校で、日本語を教えない限りである。日本で、シェイクスピアの翻訳ができる人は、何百人でもいる。ショーの戯曲を原語で読んでいる人は何千人もいるだろう。外人では、「源氏物語」の抄訳が曲りなりにできる人が、たまに一人しかいないのだ。これでは、日本文学が、外国に理解される機はないのだ。英訳などしたら、ものが違ってしまうのだ。芭蕉の俳句の英訳などを見ると、黄金でできているものが、鉛で作られているようになってしまうのだ。だから、日本語で書いている以上、日本文学が外国人に理解されるのは、絶望だ。
しかし、国語の障害がなければ、日本文学がほんとうに理解されれば、日本の陸海軍や医学が、世界に負けないごとく、日本文学も決して、負けないことを僕は確信している。これは、外国などに長くいて、外国の標準でものを考える人には分からないかも知れないが。
その日本文学に比べると、日本の政治家や実業家が、文学や芸術に対する理解は、英仏米などの政治家と比べてたしかに劣等である。講談本を読む大臣は、もういなくなっているかも知れないが、大臣で純文学の作品を読む人は一人もいないだろう。当時花形たる横光の名前を知っている人は、一人もいないだろう。だから日本で、文学が社会的でない責任は文士にもあるかも知れないが、十中八、九までは、政治家や実業家にあるのだ。これは、柳沢氏がいくら強弁してもだめである。
柳沢氏の文章を読んでいると、僕を国際何々会の評議員にしないためにでも、僕がつむじを曲げているように取られるが、僕は会に評議員などがあり、それに露伴、藤村、白鳥などが加わっていることを、柳沢氏の文章で初めて知ったのである。
その会の本旨が、文学の紹介が主要の目的でないそうだが、それは結構である。現在のままで、日本古典を翻訳したって、正宗白鳥氏が感心するくらいが落ちである。今のところ「鏡獅子」のトーキーでもこさえたり、外国の舞踊家が来たらお茶でも御馳走していたらいいと思う。我々には、国際何々協会に協力するひまがあったら、松本学氏の「文芸懇話会」にでも力を尽くして、生前勲章はもらえないまでも、死んだら慰霊祭でもしてもらえるようにしておく方が、より合理的である
東北地方の講演旅行は、どこも盛況だった。だが、盛岡へ行ったときは、あの関西風水害の日で、ああいう時には、よく流言が起るように、盛岡では、もう「東京の小学校が倒れて、児童が二百五十人死んだ」という噂になっていた。自分の子供は、男の子も女の子も、校舎につっかい棒のある東京中で一番早く倒れそうな学校へ行っているので、不安になったが、東京は無事というのをきいて、ほっとした。
それだけに、大阪における小学児童の遭難については、その親たちに対して気の毒の感に堪えない。サンデー毎日に載っていた西村真琴博士の「昭ちゃんがやられた−−」を読んでも、その実況が思いやられる。子供を失うことは、人生の一大痛恨事だ。香川景樹などいう歌人は、よくいわれていないようだが、しかし愛児を失ってよんだ「眺めても此世の空と見えざりき子を失ひしあけの朝(あした)は」は、傑作である。(記憶だから、文句に間違いがあるかも知れん)
(九年十一月)
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