私は頼まれて物を云うことに飽いた。自分で、考えていることを、読者や編集者に気兼なしに、自由な心持で云って見たい。友人にも私と同感の人々が多いだろう。又、私が知っている若い人達には、物が云いたくて、ウズゝしている人が多い。一には、自分のため、一には他のため、この小雑誌を出すことにした。
もとより、気まぐれに出した雑誌だから、何等の定見もない。原稿が、集らなくなったら、来月にも廃すかも知れない。また、雑誌も売れ景気もよかったら、拡大して、創作ものせ、堂々たる文藝雑誌にするかも知れない。
一、私は自分より富んでいる人からは、何でも欣(よろこ)んで貰うことにしてある。何の遠慮もなしに、御馳走にもなる。総じて私は人から物を呉れるとき遠慮はしない。お互に、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは快く貰い、やる物は快くやりたい。
一、他人に御馳走になるときは出来るだけ沢山喰べる。そんなとき、まずいものをおいしいと言う必要はないが、おいしいものは明らかに口に出してそう言う。
一、人と一しょに物を喰ったとき、相手が自分よりよっぼど収入の少い人であるときは、少し頑張ってもこちらが払う。相手の収入が相当ある人なら、向うが払うと言って頑張れば払わせる。
一、人から無心を言われるとき、私はそれに応ずるか応じないかは、その人と自分との親疎によって定める。向うがどんなに困っていても、一面織の人なれば断る。
一、私は、生活費以外の金は誰にも貸さないことにしてある。生活費なら貸す。だが、友人知己それぞれ心の裡(うち)に金額を定めていて、この人のためにはこのくらい出しても惜しくないと思う金額だけしか貸さない。貸した以上、払って貰うことを考えたことはない。また払ってくれた人もいない。
一、約束は必ず守りたい。人間が約束を守らなくなると社会生活は出来なくなるからだ。従って、私は人との約束は不可抗力の場合以外破ったことがない。ただ、時々破る約束がある。それは原稿執筆の約束だ。これだけは、どうも守り切れない。
一、貴君のことを誰が、こうこう言ったといって告げ口する場合、私は大抵聞き流す。人は、陰では誰の悪口でも言うし、悪口を言いながら、心では尊敬している場合もあり、その人の言った悪口だけがこちらへ伝えられてそれと同時に言った賞め言葉の伝えられない場合だって、非常に多いのだから。
一、私は遠慮はしない。自分自身の価値は相当に主張し、またそれに対する他人からの待遇も要求する。私は誰と自動車に乗っても、クッションが開(あ)いているのに、補助座席の方へは腰をかけない。
一、自分の悪評、悪い噂などを親切に伝えて呉れるのも閉口だ。自分が、それを知ったため、応急手当の出来る場合はともかく、それ以外は知らぬが仏でいたい。
一、私は往来で帯がとけて歩いている場合などよくある。そんなとき注意をしてくれると、いつもイヤな気がする。帯がとけているということは、自分で気がつかなければ平気だ。人から指摘されるということがいやなのだ。そんなことは、人から指摘されなくても、やがては気がつくことだ。人生の重大事についても、これと同じことが言えるかも知れない。
一、人への親切、世話は、慰みとしてしたい。義務としてはしたくない。
一、自分に好意を持っていてくれる人には、自分は好意を持ち返す。悪意を持っている人には、悪意を持ち返す。
一、作品の批評を求められたとき、悪い物は死んでもいいとは言わない。どんなに相手の感情を害しても。だが、少しいいと思う物を、相手を奨励する意味で、誇張して賞めることはする。
僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵(こしら)えたい。全く、十七、十八乃至(ないし)二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るということと、ある程度に、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つということが必要である。
とにかく、どんなものでも、自分自身、独特の哲学といったものを持つことが必要だと思う。二十歳前後の青年が、小説を持ってきて、「見てくれ」というものがあっても、実際、挨拶のしようがないのだ。で、とにかく、人生というものに対しての自分自身の考えを持つようになれば、それが小説を書く準備としては第一であって、それより以上、注意することはない。小説を実際に書くなどということは、ずっと末の末だと思う。
実際、小説を書く練習ということには、人生というものに対して、これをどんな風に見るかということ、−−つまり、人生を見る眼を、段々はっきりさせてゆく、それが一番大切なのである。
吾々が小説を書くにしても、頭の中で、材料を考えているのに三四ヶ月もかかり、いざ書くとなると二日三日で出来上ってしまうが、それと同じく、小説を書く修行も、色々なことを考えたり、或は世の中を見たりすることに七八年もかかって、いざ紙に向って書くのは、一香最後の半年か一年でいいと思う。
小説を書くということは、決して紙に向って筆を動かすことではない。吾々の平生(へいぜい)の生活が、それぞれ小説を書いているということになり、また、その中で、小説を作っているべき筈(はず)だ。どうもこの本末を転倒(てんとう)している人が多くて困る。ちょっと一二年も、文学に親しむと、すぐもう、小説を書きたがる。しかし、それでは駄目だ。だから、小説を書くということは、紙に向って、筆を動かすことではなく、日常生活の中に、自分を見ることだ。すなわち、日常生活が小説を書くための修行なのだ。学生なら学校生活、職工ならその労働、会社員は会社の仕事、各々(おのおの)の生活をすればいい。而(しこう)して、小説を書く修業をするのが本当だと思う。
では、ただ生活してさえ行ったら、それでいいかというに、決してそうではない。生活しながら、色々な作家が、どういう風に、人生を見たかを知ることが大切だ。それには、矢張り、多く読むことが必要だ。
そして、それら多くの作家が、如何(いか)なる風に人生を見ているかということを、参考として、そして自分が新しく、自分の考えで人生を見るのだ。言い換えれば、どんなに小さくとも、どんなに曲っていても、自分一個の人生親というものを、築きあげて行くことだ。
こういう風に、自分自身の人生観−−そういうものが出来れば、小説というものも、自然に作られる。もうその表現の形式は、自然と浮かんで来るのだ。自分の考えでは、−−その作者の人生観が、世の中の事に触れ、折に触れて、表われ出たものが小説なのである。
すなわち、小説というものは、或る人生観を持った作家が、世の中の事象に事よせて、自分の人生観を発表したものなのである。
だから、そういう意味で、小説を書く前に、先ず、自分の人生観をつくり上げることが大切だと思う。
そこで、まだ世の中を見る眼、それから人生に対する考え、そんなものが、ハッキリと定まっていない、独特のものを持っていない、二十五歳末満の青少年が、小説を書いても、それは無意味だし、また、しようがないのである。
そういう青年時代は、ただ、色々な作品を読んで、また実際に、生活をして、自分自身の人生に対する考えを、的確に、築き上げて行くべき時代だと思う。尤(もっと)も、遊戯として、文芸に親しむ人や、或は又、趣味として、これを愛する人達は、よし十七八で小説を書こうが、二十歳で創作しようが人の勝手である。苟(いやし)くも本当に小説家になろうとする者は、須(すべから)く隠忍自重(いんにんじちょう)して、よく頭を養い、よく眼をこやし、満を持して放たないという覚悟がなければならない。
僕なんかも、始めて小説というものを書いたのは、二十八の年だ。それまでは、小説といったものは全く一つも書いたことはない。紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。
とにかく、自分が、書きたいこと、発表したいもの、また発表して価値のあるもの、そういうものが、頭に出来た時には、表現の形は、恰(あたか)も、影の形に従うが如く、自然と出て来るものだ。
そこで、いわゆる小説を書くには、小手先の技巧なんかは、何んにも要(い)らないのだ。短篇なんかをちょっとうまく纏(まと)める技巧、そんなものは、これからは何の役にも立たない。
これほど、文芸が発達して来て、小説が盛んに読まれている以上、相当に文学の才のある人は、誰でもうまく書くと思う。
そんなら、何処(どこ)で勝つかと言えば、技巧の中に匿(かく)された人生観、哲学で、自分を見せて行くより、しようがないと思う。
だから、本当の小説家になるのに、一番困る人は、二十二三歳で、相当にうまい短篇が書ける人だ。だから、小説家たらんとする者は、そういうようなちょっとした文芸上の遊戯に耽(ふけ)ることをよして、専心に、人生に対する修業を励むべきではないか。
それから、小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い特代の苦労が第一なのだ。金のある人などは、真に生活の苦労を知ることは出来なないかも知れないが、とにかく、若い人は、つぶさに人生の辛酸を嘗(な)めることが大切である。
作品の背後に、生活というものの苦労があるとないとでは、人生味といったものが、何といっても稀薄だ。だから、その人が、過去において、生活したということは、その作家として立つ第一の要素であると思う。そういう意味からも、本当に作家となる人は、くだらない短篇なんか書かずに、専(もっぱ)ら生活に没頭して、将来、作家として立つための材料を、蒐集すぺきである。
かくの如く、生活して行き、而して、人間として、生きて行くということ、それが、すなわち、小説を書くための修業として第一だと思う。