父が活躍した時代、僕は分別のつく大人ではなく、子どもの目で父を眺めるだけの存在でした。父は、子どもに対しても、何かを目指せとか、こういう大人になれとかいった指示をするのではなく、今で言う自由放任主義のような育てかたをしていたように思います。自らの個人主義者・リベラリストとしての考え方を、日常の生活の中で僕に教えていたのでしょう。
ともかく、人生を楽しむことの天才。新しいことにはいつも首を突っ込み、テニス、水泳、ゴルフ、ダンス、競馬、麻雀と数え上げれば尽きないほど。たとえば「文藝春秋」にしても、決してこれで出版社を起こそうとかビジネスをしようとか考えたわけではなく、ただ誰の束縛も受けずに自分のやりたいことを実現しようとしたら自分で出版までやることになってしまった、という出たとこ勝負の様なところがあったのではないかと思います。しかし、父の面白いところは、そうした身勝手な行動に常に人が付いてきたということでしょう。何故か菊池寛の周りには、その人間的な魅力に惹かれて、新しいことをやるたびにそれに長じた人材が集まってきたのです。
そうした人々の話を後で聞いてみると、父は非常なアイデアマンだったということです。インタビューや対談という新しいジャーナリズムを発明(?)したのも父のようですし、いつも煙草を吸いながら新しいアイデアで人を驚かせワイワイと遊んでいたようです。ただ、しばらく遊ぶと飽きてしまうという子どものようなところがあって「文藝春秋」などもその例に漏れないのですが、父の場合本人が飽きる頃にはちゃんとそれを受け継いでくれる人が育っているという不思議なところがありました。人間的には、人を引き付ける強い魅力があったのでしょうね。
結局、父は今で言う起業家のような人だったのかもしれません。それも全然ビジネスマンではなく、アイデアマン。いつも新しいものを面白がっている、ものづくりの人でした。今のインターネットなんかも、もしその時代にあったら思いっきり楽しんでいたでしょうね。そういう意味で、このアーカイブとかいう活動、天国の父が一番楽しんでいるのではないかと思います。
現在では菊池寛は「文豪」などといわれ、偉大な存在のように思われがちです。しかし、なんのことはない、彼は人間が大好きなサーヴィス精神に富んだ野次馬といったところでした。ですから彼の小説は、その野次馬が、好きな人間のことを、好きな人間を喜ばせようと書いたものだといえます。
戦後50年が過ぎました。終戦3年にして59歳で亡くなった彼も没後50年になろうとしています。そんな彼の小説をこの現在に、新しいメディアで、新しい人たちに読んでもらえるということはうれしいことです。人間はいつの時代も同じですから。