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1週間が経過し、America Under Attackから、Operation Infinite Justiceに変わった。本当にいろんなことを考えさせられる事件である。今週もとりとめもなく、感じたことを書いていくことにする。
感動したのは、アメリカ国旗のもとに人々が気持ちをひとつにしていたことである。国旗が売れ、9月20日に優勝を決めたシアトル・マリナーズは、ユニフォームの背中に国旗を縫い付けて戦い、試合終了後は国旗のもとに集まり、グラウンドでひざまずいて被害者に黙祷を捧げた。「気持ち」が伝わってくる。素晴らしい映像だった。
同じことが日本で起きたとき、「日の丸」を同じようには使えないのが気になる。日の丸反対派は、明治以来、日本がその旗のもとに周辺諸国に対する侵略行為を繰り返してきたことを指摘し、日の丸は「血塗られた帝国主義の象徴」であり、だから使うべきではない、と主張してきた。「周辺諸国の感情を害する」というのである。
私はなんだかその議論、おかしいなあ、と思う。アメリカ国旗も、ベトナム戦争を代表に、ずいぶん血塗られている。フランス国旗だってひどいものだ。大英帝国はどうか、オランダはどうか、スペインはどうか……近代から現代にいたる歴史の中で、血塗られていない国旗を探すほうが難しい。
中国があの国旗のもとにチベットでなにをやったかを知っている人間からみれば、「勝手に気を回して遠慮する必要などない」といいたくなる。つまり日の丸反対派の論旨に納得できないのだ。
もっというと、国旗を変えることは、過去の歴史に蓋をすることであり、逆に危険なのではないか、という気もする。今回のテロ事件でも、最初は、「パールハーバー以来だ」「カミカゼ攻撃だ」と何度もいわれた。「パールハーバーはルーズベルトの陰謀だったのだぞ」と言いたくなる気持ちもあるが、やはりこの二つはニッポンの負の遺産として記憶していかねばならない出来事なのだと改めて思った。
「日の丸をやめろ」という議論は、負の遺産の継承をやめて、周辺諸国にも忘れてもらおう、ということになりはしないか。血塗られた国旗だからやめてしまう、というのではなくて、だからこそ、その国旗を使い続け、過去の歴史をいつまでも忘れず、再起を誓うべきではないかと思う。
改めて不思議に思ったのが、「アラブ」という言葉である。新聞は「アラブへの敵意」という見出しを使い、アラブ人およびアラブ人に見えてしまう人たちが、アメリカ国内で差別されたり、殺害されたりしているという話を書いている。
どこかおかしい。その一方で「犯人」として名指しで批判されているのは、オサマ・ビン・ラディン氏とアフガニスタンのタリバン政権である。さて、アフガニスタンはアラブなのか? というのが疑問なのだ。
一般的に「アラブ」といった場合、それはアラビア半島周辺地域とか、アラビア語を話す地域、というような意味合いで理解するべきものだと思う。「アラブ連盟に加盟していること」という定義にするならば、モーリタニア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、スーダン、(パレスチナ)ヨルダン、レバノン、シリア、イラク、クウェート、サウジアラビア、イエメン、オマーン、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦である。アフガニスタンは入らない。
事件も、報道も、民族差別意識、あるいは無知が透けて見えてくるようで、なんとも暗い気持ちになる。正確には「ムスリム(イスラム教徒)への敵意」と書くべきだと思う。そしてもちろん、これは偏見であり、忌むべき行為である。
9月20日夜のブッシュ大統領の議会演説をCNNでチェックしたところ、彼は注意深く、「私たちはイスラム教を尊重しているし、アッラーの名のもとにテロ行為を行う者は神を冒涜している」と発言し、ムスリムを擁護していた。テロを憎むこと、報復することばかりではなく、「アラブ」という言葉の定義を正確に理解できる人を増やすことも必要なのだろうと思う。
今回のテロ行為で、ラディン氏一派は株取引で莫大な利益を得たのではないか、というニュースも流れている。もしもその話が本当だとすれば、自由主義経済がこのような形で逆手にとられるということを、今後織り込んでいかないといけない、ということである。恐ろしい。
テロを実行した挙げ句、その「インサイダー」として空売り等を仕掛けることにより、株取引で資金を調達できるのだとすれば、テロの連鎖は今後も続くということだ。報復よりも先に、「このような超インサイダー取引は許さない」というシステムを導入するほかあるまい。
(off side 2001, No.24. 了)
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