「契爺」とは広東語でゴッドファーザーの意。香港お嬢たちから親しみを込めて契爺と呼ばれるAsiatic Exproler 山森洋一さんが、アジアの各地で遭遇した旅の場面 を伝えるフォトエッセイ「契爺茶館」。アジアのさまざまな風景を毎月お届けします。
2000年3月
![]() |
写真:山森洋一 撮影:1996 年 2 月 15 日午前
ウズベキスタンの古都ヒヴァ (Khiva) は、トルクメニスタンと国境を隔てアラル海にそそぐアムダリア河下流デルタ地帯にあるオアシスの町だ。12−13世紀にホラズム・シャー・ムハンマドのもとで栄え、カスピ海沿岸、ペルシャ湾に至る広大な地域と行き来があったという。古代から「ホラズム=太陽の国」と呼ばれていたが、それは年間 300 日以上雲ひとつない晴天がつづき、強烈な陽光にあふれているためである。
カラクム砂漠とキジルクム砂漠の間にあって、外的の侵入を防ぐため二つの城壁に囲まれたこの石づくりの町には中央アジアでも有数のモスクやメドレセ(イスラム学校)、ミナレット(尖塔)が現存する。
かつて外壁のなかには農民、手工業者、隊商など庶民が住み、その内側の内城(イチャン・カラ)は汗(ハーン)の宮殿、モスク、メドレセやハーレムが配されていた。その一つアラクリ・ハーンのタシュ・ハウリ宮殿の内部にはハーレムとして 163 もの部屋があり、常時 40 人の美女が住んでいたと伝えられる。タシュとは固い石の意で、天井、床、壁すべて石づくりで、小部屋の広さや造作は一つ一つが違っていて、しかも迷路のように入りくみ、出入り口も方向が異なっている。部屋といっても日本式に言えば3畳ぐらいの空間で窓もなく、ハーレムの絢爛なイメージとはほど遠い。
外壁の南門は、かつてシルクロード隊商がカラクム砂漠へ向かい、カスピ海方面から到着した基点だった。砂漠のオアシス町ヒヴァは冬の清冽な青につつまれていた。
(c)2000 Yoichi Yamamori