「契爺」とは広東語でゴッドファーザーの意。香港お嬢たちから親しみを込めて契爺と呼ばれるAsiatic Exproler 山森洋一さんが、アジアの各地で遭遇した旅の場面 を伝えるフォトエッセイ「契爺茶館」。アジアのさまざまな風景を毎月お届けします。
2000 年 8 月
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写真:山森洋一
撮影:1996 年 2 月 15 日(木)・昼食時
サマルカンドのとあるチャイハナで昼食をとった。チャイハナとは茶を喫する場所というほどの意味で、食堂、レストランなども含まれる。近くに大きな食料品のバザールがあって、このチャイハナにはそうした客が集まる場所でもあった。あちこちで買物の成果を披露しあっている姿が微笑ましい。店の庭先にはテーブル・椅子の席もあれば、縁台にマットや布を敷いた席(寝台を想像していただければよい)が散らばっている。戸外は−7℃という、彼方に霞むヒンズークシュ山脈からひと吹きあればたちまち身も心も凍りつきそうな気温である。 われわれ一行はウズベク人、ロシア系ウズベク人、タタール人、アルメニア人と私という、民族の坩堝といわれる中央アジアでも一風変わった存在である。料理が運ばれるにつれて、われらインスタント異民族グループの周りを新たな異民族が取り巻いた。いずれも母子のペアでそばの縁台にじっと座って待つだけで、声をかけてくるわけではなく手も出さない。同僚異民族の表情を伺うが、泰然としたまま。たまりかねて尋ねれば「気にしないでいい。」まあ、郷に入って過ごしたが、あまり楽しい食事ではなかったのはおわかりだろう。
食後、わが同僚はさりげなく残した食物やスープを母子に与え、彼女たちの食事が始まる。どうやら多少余分に注文するようにも見受けられた。もちろんすげなく追い払う客もあるけれども、店のほうも追い立てるわけでもなく、お茶のサービスぐらいはする。「彼らはジプシーだから」、「困っている人を助けることは社会の暗黙の約束事」というわが同僚の淡々とした説明に頷くばかりだ。彼らが本物のジプシーなのか、それとも別の民族的存在なのかは分明ではないが、いずれも寡婦であり生計の手段を持たず、社会から隔絶された人びとであるのは確かなようだ。その手に抱いた子どもたち(借りてきた子とも聞く)の将来が開かれているのかどうか、社会制度や教育制度、福祉政策のありようがおおいに気になるところだが、学校にいるべき時間に食を求める少年たちの姿に一つの答えがあるようにもみえる。
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「流浪の民」と呼ばれるジプシーの源流には謎が多く、英語ではジプシー、フランス語ではジタンというのは、彼らがエジプトから来たと考えられていたからだ。しかしわが同僚の指摘によれば、彼らがアーリア系でその言語(ロマニー語)はインドのサンスクリット語から派生したもので、11世紀ごろインド西北部から西進、西アジア、バルカン経由でヨーロッパに到達したのだという。つまりインド起源で、インドからヨーロッパへの過程で一部がここ中央アジアに棲みついたのだ、というのである。なるほど。
(c)2000 Yoichi Yamamori