はじめに

ホロン経営ブームである。これほどまでのブームになるとは、ブームを仕掛けた張本人である私にも、さすがに見通すことができなかった。

思えば、昨年の九月二十二日、筆者が日本経済新聞の「経済教室」に“企業に求められる個を生かす経営”と題する論文を載せたのが、わが国におけるホロニック・マネジメントブームの出発点であった。論文掲載後の産業界からの反響は大きく、トップマネジメントの方々を中心に、ホロニック・マネジメントに関して、多くの場でお話をさせていただく機会を得た。そうこうするうちに、今年に入り、四月一日の朝日新聞の「深海流」というコラムに、“拡がるホロン的経営”というタイトルの記事が掲載され、私とともにホロニック・マネジメントが初めて一般紙に紹介された。ついで、同じ朝日新聞の四月七日の「ひと」の欄に、ホロン的経営の布教者として私自身が紹介された。この頃から急速に一般の人々の間にホロン的経営という言葉が浸透し、今では、ほとんどのビジネスマンにとって、この言葉はなじみ深いものとなってきている。

それでは、一体なぜ、このようにホロニック・マネジメントがブームになったのであろうか。その最大の要因は、我々の産業社会が、工業社会から情報社会への移行という長期文明史的な大転換期を迎えていることであると思われる。すなわち、現在、あらゆる領域において企業をとりまく基本的な枠組(バラダイム)が急速に崩壊しつつあり、従来の日本的経営を中心としたスタイルではもはややっていけないという危機感が、特に大企業のトップ層を中心とした人々の間に充満していたことがあげられる。とりわけ、企業にとって最も直接的な経営環境である“市場・顧客”の構造変化には著しいものがある。市場に物財が満ちあふれている状況のもとで、人々の価値観は、モノを所有すること(ハビング)から白己実現(ビーイング)へ向けて大きく変化しつつある。ハビングが人々の基本的な価値観であったこれまでの時代は、企業は品質の良い安い商品をつくるという手段価値に最大のウェートを置いて企業活動を営めばよかった。ところが今、人々の自由時間の増加のもとで、自分自身の可能性を追求する機会開発への取り組みが、社会の主要な潮流となりつつある。そうなると企業は、人々の機会開発のニーズを満足する新しい財・サービスの供給を求められるようになる。まさに現在、目的価値の創造が企業にとって最も重要な活動になってきているのである。

ところが、手段価値に重きを置く物的生産中心の時代の基本原理であった日本的経営と、それを支える効率至上の官僚的な企業組織のもとでは、このような市場の構造変化に適合する目的価値の創造は不可能であるといってよい。要するに、今、わが国の企業は、本格的な知的生産時代に対応する“新しいマネジメントや組織のあり方”を真剣に模索しているのであり、そのことがホロニック・マネジメントブームが誕生した基本的な背景なのである。

本書は、これから二十一世紀にかけて本格的に機会開発産業が開花していく知的生産時代において、企業が未来型企業(ホロニック・カンパニー)として存続・発展していくための条件について、幅広い立場から問題提起を行ったもので、全体として七章から構成されている。

第I章の「求められる企業像の転換」では、物的生産主導から知的生産主導へと産業社会の基本的なバラダイムが転換する時代には、企業自体もまた変身を遂げることが求められており、我々がこれまで企業に対してもってきた伝統的なモノの見方を、根底から変更していく必要のあることを仮説として提示している。

第II草の「ホロニック・マネジメントの時代」では、現在のブームの中で、ホロン的経営に関する論議が混乱している状況が見られるので、交通整理も含めホロニック・マネジメントが必要とされている具体的な背景、その基本原理、先駆的事例を中心に、知的生産時代の企業組織のあり方について私自身の考え方を述べている。

第III章の「マージナルマンの時代」は、ホロニック・カンパニーに求められる新しい企業人像について論じた上で、今後、焦点となると思われる企業への女性進出問題、ゴールドカラー問題、企業人教育問題について触れている。

第IV章の「感性市場の行方」は、機会開発時代における市場の特性とマーケティング戦略のあり方について論じている。私としては、特に二節の〈成熟社会における豊かさとは何か?〉をじっくり読んでいただきたい。

第V章の「ニューイノベーションの時代」では、企業の未来への永続の糧となる広義のR&Dとしてシュンペーター流のイノベーションの必要を説いている。要素の新結合としてのイノベーションの実際について具体的なニュービジネスの提案をしているので、読者の皆さんには興味をもってお読みいただけるものと思う。

第VI章の「情報革命時代の情報戦略」では、いながらにして必要な情報が必要なタイミングで入手できる“情報のジャスト・イン・タイム化”の進む時代における戦略的意思決定を支える情報戦略のあり方について述べている。

最後の第VII章「未来型企業=ホロニック・カンパニーの条件」では、全体を再度総括する意味で日本的経営の限界について論じた上で、新しい時代の企業を支えるチェンジ・エージェントの重要性について指摘し、最後に、機会開発時代における企業戦略のあり方について提言している。

このように、本書は第I章の問題提起を受けて、「組織」(II章)、「人」(III章)、「マーケティング」(IV章)、「技術」(V章)、「情報」(VI章)、「戦略」(VII章)と極めて広範な領城にわたって、新しい時代における企業のあり方について論じている。そのため、個別の内容に関しては食い足りない面も多々あると思われるが、未来型企業として二十一世紀をたくましく生き抜いていくために真剣な取り組みを続けている企業の皆さんにとっては、包括的な立場から議論の叩き台として役立つ材料を提示しえたものと自負している。皆さんの知的対決の素材として日常的に利用していただければ、著者としてこれに勝る喜びはない。

さて、この本が世に出るまでに実に多くの人のお世話になっている。まず最初に、この本を書くことの直接のきっかけをつくってくださった辰馬通夫氏(サントリー)に感謝したい。ついで、ホロニック・マネジメントなど何のことやら皆目見当のつかない時に、あえて「経済教室」に論文を掲載し、ブームの火つけ役となった岡田任弘氏(日本経済新聞)、朝日新聞紙上で二度にわたって私を取り上げてくださった名和太郎編集委員、雑誌『ボイス』に本格的な形で私の論文を載せてくださった稲瀬治夫氏(PHP研発所)の諸氏にも深く感謝したい。もちろん、私のこのような活動を積極的に支援してくださった長銀経営研究所の山内社長をはじめ、プロフェッショナルな仲間の皆さんにも心からお礼を言わなければならない。また、私が日本能率協会に在籍中からの研究プロジェクト仲間で、公私にわたって触発されることの多い畏友寺島実郎氏(三井物産)にも感謝したい。彼との出会いがなければ、この本が誕生することはなかったろう。最後に、五年はもつ本を書くようにと私を励ましてくださった増田米二先生(情報社会研究所)と、怠惰な私に一冊の本を書かせた卓越した編集者である神保敬氏(TBSブリタニカ)に感謝を捧げたい。

一九八五年十一月
北矢 行男


(目次) (第I章 1)