前の二章では、新しい時代に求められる企業像と、そこでの人と組織のあり方に関して、“ホロニック・マネジメント”の立場から私なりのフレームを提示した。そこで指摘していることの一つは、現在、我々がもっている企業に対する認識ほど、実は構造変化を遂げつつある環境と乖離した固定観念のかたまりの代表的なものはないのではないか、ということである。そのことに敏感に気づき、時代の変化に適合し、企業がホロニック・カンパニーヘと自らを変身させていくためには、主役である企業人もまた、自らを「会社人間」から脱皮させていくことが求められるのである。なお、ここで念のために「会社人間=オーガニゼーションマン」を定義すると、生活の最優先事項が会社であり、会社の決めたルールに極めて忠実で疑義をはさまないタイプの人のことをいう。
既に述べたように、これからの時代において、企業にとっての最大の市場は、生活の中で圧倒的に増大する自由時間を人々が自己実現のために創造的に消費していくための商品・サービスを提供していく分野にある。このような分野は、現在でもなお、わが国のサラリーマンの間で幅をきかせている企業中心の会社人間では到底対応することができない。何よりも、人々が生活の中で、どのような悩みをもち、何に感動し、何を欲しているかに関し、自分自身も一人の人間、市民として共通の立場でセンシティブにとらえ、それを卓越した商品・サービスに仕立てていくことが求められるからである。そのようなニーズに対し、「会社が人生のすべて」というスタンスから発想される商品・サービスは、自ずと限界をもったものにならざるを得ないであろう。
わが国の場合、戦後の荒廃から立ち直る過程において急速な重化学工業化が推し進められ、圧倒的に増大する新規労働需要は農村からの労働力の供給によってまかなわれた。そのため、戦前までわが国のコミュニティの中核として機能していた伝統的な村落共同体が崩壊し、代わって企業における“会社コミュニティ”が表舞台に登場してくることになった。とりわけ、高度成長時代に多くの企業では「年功序列」と「終身雇用」を柱とする日本的経営を確立し、一社一心の企業一家主義を鼓舞することによって成長戦略を遂行してきた。そのことが、大多数の国民の願いであった物的豊かさの実現という目標と結びつき、わが国に“企業中心社会”を生み出すことになったのである。
だが、わが国の産業社会は今、工業社会から情報社会への過渡期という新たな段階に入っている。戦後一貫して追求してきた物的生産主導の産業・経済政策が効を奏し、わが国は世界でもまれな豊かさを実現した。市場に圧倒的に物財が満ちあふれている供給過剰時代の到来のもとで、人々の価値観は物を所有することから、生活の中で自己実現を図ることへと急速に傾きつつある。わが国もようやく“会社の時代”から、欧米社会と同様、個人が市民として尊重される“成熟の時代”ヘの道を歩みつつあるのであり、そのことが会社人間を超える新しい企業人の登場を要請しているのである。
表5をご覧いただきたい。私の知人で日本でも有数の“社外勉強会人間”として八四年の十二月、NHKの“サラリーマンライフ”でも紹介された山本勝彦氏(大東京火災海上保険勤務、三七歳)が、八五年の初め新年の挨拶に送ってきた自らの位置づけである。何と、彼は一五種類の人間たらんとしているのである。余りに数が多くて、恥ずかしながらCOM(コム)人間に至ってはいまだに何のことかわからない始末である。でも、この一五の人間像を見ると、結局のところ彼のいいたいことは、転換期においては、会社に埋没し、人間としての多様な生き方のできない、いわゆる「会社人間」から我々が脱皮しなければ、今後、会社に所属することさえできなくなるのだということであろう。私が彼を新しいタイプの企業人の一人として紹介するのは、彼が明快な人生戦略をもって毎日を過ごしていることによる。

彼の人生設計図によると、三〇歳までが“修業期”で、それから本厄にあたる四二歳までが“充実期”、さらに四八歳までが“評価期”にあたる。そこまでに、会社に対して十分貸しのある状況をつくれれば、そのままビジネス人生の“完成期”にあたる六〇歳まで会社で働くが、そうでなければ、それから先の人生を“社会還元期”に充当して過ごすというものである。彼は単なる勉強会大好き人間なのではなく、真剣勝負で社外勉強会に参加することによって異能・異才の士と知り合い、“人脈づくり”という人間コレクションによって、所属する企業の未来に備えているのである。
今一つの彼のコレクションは、知的財産として絵画、レコードおよび本を収集することである。これは、社会還元期には北陸の郷里に帰り、美術館であると同時にコンサートホールであり、そのうえ図書館であるような知的社交場をオープンしたいという遠大な夢を実現するためである。そのために多分、現在、彼は給与の半分をコレクションに費やしていると思われる。サラリーマン生活の間に、絵画三〇〇点、レコード一〇〇〇枚、蔵書一万冊の入手を目標に掲げているからだ。山本氏のように、自分の人生目標を明確に設定し、真剣勝負の他流試合の中で自らを鍛え、長期的視点から所属企業に対して貢献する努力を続ける一方で、日常の自分自身の趣味にも全力投入する新しいタイプの企業人が、成熟社会に求められる一つの企業人像なのではないだろうか。
今一人、是非とも紹介したい人物がいる。それは、典型的なマージナルマンである寺島実郎氏(三井物産勤務、三八歳)である。彼は、三井物産の全社的な経営企画と、イラン石油化学プロジェクトに関わる中東情報の調査・分析を仕事とする“空飛ぶビジネスマン”として、世界を舞台に活躍している男てある。彼とは、私の前の職場である日本能率協会の創立四〇周年記念プロジェクトである「一九九〇年シナリオ研究」(その成果は『シナリオ一九九〇・戦略経営の時代』というタイトルで出版され、ベストセラーになった)を実質的にとりまとめた仲間であり、彼は知の世界における私の畏敬すべき友人である。団塊の世代に属する彼は、八〇年五月号の『中央公論』に「我ら戦後世代の坂の上の雲」という密度の濃い起爆力に満ちた論文を発表し、一躍わが国の論壇から注目をあび、以来ビジネスの世界ともども“物産に寺島あり”ということで、その存在を知られる男である。 “人の物産”といわれ数々の人物を輩出してきた三井物産であるが、わが国の企業社会は、何の実績もない大学を出たての新入社員に我が物顔をさせるほど甘くはない。とりわけ、わが国の企業社会には、自分というものを志向する問題意識をもった人間を好まない風土があったからなおさらである。さすがの彼も、入社間もない頃は、会社生活におけるカルチャーギャップに悩み、ギブアップ寸前まで行ったらしい。しかし、彼の入社した一九七三年暮れに、いわゆる第一次石油ショックが到来し、以降、企業をとりまく環境が構造的に変化しはじめることになる。調査部に所属し、問題解決型の情報・調査清動を渇望していた彼にとって、まさに神風の到来であったわけである。
以降、彼は環境の構造的変化を見極め、経営としてそれにいかに対応すべきかを問題提起する活動を続けてきており、同時に、企画・調査のプロとしての実力をつけるため数多くの研究会に参画し、積極的に社外の実力ある人間とのコミュニケーションをはかる活動も続けている。彼は一級の経営企画マンであるだけではなく多分、現在、中東問題を中心とする国際情報戦略の分野では、わが国有数の専門家としての地歩を築いているといってよいであろう。先般もアメリカ政府のミッションの一員として日本から唯一人参加し、中東地域を中心とする国際的な情報調査活動を行なってきたばかりである。
彼は、一方で「外界の変化にとり残された企業内に安住しようとする人々」を哀れむが、他方で「サラリーマン生活に見切りをつけ、個人の才覚で生きていこうとする人々」にも与しない。マクロ(産業社会)の構造変化をミクロ(企業の現場)での実践に結びつけていくためには、組織の課題に正面から取り組み、しかも、組織外の動きにしっかりと関わるマージナルマンとしての位置感覚が、今の時代には何よりも大切だと考えているからである。知的感受性と知的度胸を併せもった彼のようなタフな企業人もまた、グローバル化の進む新しい時代に求められる企業人像の一つなのであろう。
「会社人間」の対極にある典型的なマージナルマンとして二人の人物を紹介した。しかし、二人をよく知る私には、彼らは特別変わった人間というより、ごく普通の男性であり、市民である以外の何ものでもない存在である。にもかかわらず、彼らをことさら代表的なマージナルマンだの、求められる新企業人だのと声を大にして主張せねばならないのは、まだ日本の企業社会が、会社の決めた既定路線を勤勉実直に走る会社人間の集団から構成されているからである。実質的に年功序列や終身雇用が崩壊し、会杜人間であり続けることのメリットが急速に薄れつつあるにもかかわらずである。しかし、一五年後の二十一世紀になると、会社人間はわが国の企業社会の中では極めてマイナーな存在になるだろう。団塊の世代が五〇歳代前半に、その二世たちが二〇歳代後半にそれぞれ達し、会社の中軸を占める時には、大多数の会社において会社人間を生み出す温床となっている終身雇用や年功序列が完全に破綻していると予想されるからである。
一方で、社会の成熟化が進み、二十一世紀に入る頃になると、機会開発産業が最大の成長産業になっているものと予想される。人々が生活の中で自己実現を図るための多様なニーズに応えていけない企業は、早晩没落するのである。物的生産中心のこれまでは、いずれの時代にも、企業の要請に基づいて仕事と人が変わってきたが、知的生産中心のこれからの時代は、成熟化する人々のニーズに適合していくために、企業そのものが変身を遂げなければならなくなるのである。まさに、企業中心社会の終焉である。機会開発に関する仕事は、より創造的、挑戦的で達成感のある仕事である。そのような仕事に、会社人間を脱皮した個性豊かな仲間が、自由闊達に腕を振るえる会社だけが、二十一世紀の社会では存続を許されるのである。
このように考えてくると、何も特別未来を悲観する必要のないことがお分かりいただけると思う。例えば、昭和一ケタ世代より上の人々からエイリアン(異星人)扱いされる最近の若者でも、各種調査結果を見ると、職場で一番生きがいを感じる時は「仕事が面白い時」だと答えている。生まれた時から豊かな状態を当たり前のこととして育ってきた彼らにとって、会社は決してすべてではない。自分のトータルの生活の中の一つに過ぎないのである。しかし、“感性新世代”といわれる彼らにとって、生活全体を楽しくしようとする気持ちは、他のどの世代より強い。同時に、中身はどうあれ、目立つことに価値を置くエクスプレスビズム(自己顕示主義)も最近の若者に特徴的な価値観である。したがって、このような若い人たちの特性にフィットした面白い仕事を創り出し、彼らに自主的な取り組みをさせることさえできれば、企業は活力を維持できるだろう。
その点でバイオテクノロジーの分野で世界の最先端を走っている林原生物化学研究所(本社岡山市)という企業のやり方は、極めて示唆に富んでいる。同社の社長である林原健氏(昭和十七年生まれ。父の不幸で十九歳の時から社長業を続けている)は、会社にとって最大の「見えざる資産」は若い世代であり、これから五年、一〇年のサイクルで見れば、若者の長所を伸ばせるような会社だけが競争に生き残ることができるという信念で経営の舵取りを行っている。同社では、現場の若い人の出してきた鋭いアイディアや独創的な発想を出来るだけ生の形で上にあげていくため、真議書を廃止している。また、社内に自由な対話を起こし、異なった専門分野の研究者や技術者の間の交流を活発化する場として社内食堂を位置づけ、三億円を投じて一流ホテル並みの豪華な食堂をこしらえ、コック長さえ引き抜いた。同社では社訓や社歌も既に廃止しているし、運動会や家族ぐるみの行事もやめている。企業ロイヤリティから仕事ロイヤリティヘと若者の気持ちが変化している時代には、社歌や社訓のたぐいで社員を引っ張っていけるわけがないことをよく知っているからである。
新しい時代に求められる企業人は、何も特別な能力をもった人間なのではない。企業内に埋没する滅私奉公型の会社人間ではない豊かな感性と、良い意味での個人主義をもった平凡な市民が求められるのである。自分を大事にし、家族を大事にし、コミュニティを大事にする市民が企業の主流を占めた時、はじめて企業としての志の高さ(=企業倫理)が生まれてくるのである。企業人の一人一人が市民として行動することが当たり前のことにならなければ、第二、第三の豊田商事事件が起こるのを食いとめることはできない。何の志もない人々が、ただ利潤の極大化を求めて企業活動を始めると、最も立場の弱い人々から非合法(すれすれ)の手段で金をかき集めてくるというやり方も、確かに一つの代替案になりうるからである。
個人主義志向も感性人間も若い人たちの間には増えている。前者は、知恵とか創造性とかを生み出す知的生産を進めていく上で必要であり、後者は感性要求の高まる市場に応えていく上で欠かせない資質である。したがって、私は今後の日本の企業活力はそんなに悲観することにはならないと思っている。外部市場の構造変化の方向と企業内部の新たな世代(主体)の性格とが適合的だからである。
八五年正月、ラグビー日本選手権で未踏の六連覇をなし遂げた新日鉄釜石のチームづくりの信念は「選手一人一人が自分の楽しみのためにラグビーに徹すること」であり、そこから生まれるやる気こそが、二流プレーヤーを集めた釜石を一流チームに変えたといわれている。これからの企業も全く同じことである。「企業人一人一人が自分の楽しみのために仕事に徹すること」によって、はじめて平凡な市民の集団としての企業が、非凡な商品やサービスを生み出す企業に変身できるのである。
一社一心のガンバリズムによって企業が物事に対処しえたのは、目標と手段が明確で効率が最大の価値原理であった大量生産時代までである。価値観が多様化し、とぎすまされた感性の持ち主が増えてきている今日では、もはや、変に精神主義を要求する“儒教的・道徳的経営”にはみんなもうウンザリしている。今求められているのは、面白く仕事をしようとする、ある意味で“アッケラカン”とした精神なのである。そのような精神の持ち主がお互いを人間として、市民として尊重しあう、日本的集団主義を超える経営リベラリズム”こそが、今求められているといえよう。