生活の中で自由時間が増大してくると、人々は増加した時問を“家の外と内”の両方に振り向けるようになる。例えば、仮に週体三日制を採用している企業に勤務する人の休みの使い方を考えてみよう。彼は、初日はウィークデーの疲れを癒すために体息をとるだろう。残り二日のうちの一日は、家庭の中で家族とのつき合いに費やすことになるだろう。しかし、彼には誰にも拘束されずにすむもう一日の休日がある。自分自身の趣味や自己啓発のために書斎にとじこもってもよいし、これまで余りつきあいのなかった近所の人と交流したり、街に出て家族や会社以外の他の世界の人と接触するのもよいだろう。要するに自由時間の増加は、人と人との新たな接触の機会の増加を意味するから、インフォーマルなネットワーキングの拡大を促進することになる。
今一つの傾向は、コミュニティの中、とりわけ自宅で過ごす時間が増大することから、スペース(空間)とそのアメニティ(ここでは快適さ、心地よさの意味)に関心が強まってくる。前節で述べた自分なりの生活の流儀を貫き通すためにも、確固とした基盤(=ホーム)が必要となるのである。家が会社人間にとってほんの一時の休息を得る場であった時代には、彼らの感心は財産対策としてのマイホームの建設にはあったかもしれないが、少なくともそこを拠点とした自分なりの“ウェイ・オブ・ライフ”がなかったから、スペースやアメニティにまで思いを致すことは少なかったといえよう。一日二四時間のうち、夜を中心とした八〜一〇時間を寝に帰るだけの半日制住民にとって、二四時間定着している主婦(=全日制住民)の気持ちはとても理解できないのである。
しかし、週体三日制を中心に、フレックスタイム制の導入や長期休暇の普及など、これからは、企業人生を送っている間にもどんどん自由時間が増えてくる。そこで、将来、これまで人々の潜在的な欲求として表に出てくることのなかったスペースに対するニーズが、社会的な一大欲求として爆発してくる可能性がある。家にいる時間が長くなると、いかに自分のもつ空間が貧しいものであるかを徹底的に思い知らされることになるからである。
静かに本を読もうにも書斎はおろか、まともな本棚や机の一つもない。パソコンやワープロに取り組もうにも、機器のセットを置く場所さえない。既にお持ちの方はよくご存じだろうが、あれは結構場所を必要とするものなのである。休みが増えたお陰で知り合えた近所の人たちを招いてホームパーティをやろうにも、居間は狭くゴタゴタしていてそれどころではない。その上、気のきいたワイングラスもなければ、壁には本物の絵も掛かっていない。それより先に、古びたカーテンを取り替え、家具も新しいものにしたい……などという切実な欲求が改めて出てくることになるだろう。これまで、休日にマイカーを乗りまわしたり、ファミリーレストランに食事に出かけたり、ショッピングを楽しんだり、海外旅行に出かけたことも、もしかしたら、“ウサギ小屋”と呼ばれる狭い住居空間から逃げ出したいという潜在的な意識の裏返しの行動であったのかもしれない。
ここまで書いてくると、賢明な読者は既に気づいていただけたと思う。そうである。わが国ではまだ決してモノが余っているわけではないのである。正確にいえば、広くて質が良く、その上“安い”住居は圧倒的に不足しているし、そのために、生活の中で長期間皆に愛され親しまれていくような本物の家具、じゅうたん、オーディオ、屋内装飾、絵画などのモノが買われないでいる。
人々の価値観が、単に物を所有すること(ハビング)から自己実現(ビーイング)に向けて大きく変化していることは間違いない事実であるが、前述した住居をはじめとする“モノ”は、自己実現を図る上でのベースキャンプであり舞台装置としての役割をもつものなのである。
一九八五年という年は、とりわけ国際貿易摩擦が政治・外交上の焦点になった年であった。八四年度の日本の対米貿易黒字が、約三五〇億ドルという巨額な数字に達するまでに日米間の貿易のアンバランスが拡大しているためである。わが国の製品が外国製品に比べて安く品質がすぐれているなかで、国内では消費をはるかに上回る生産能力が存在するから、どうしても海外への輸出にドライブがかかリ、摩擦が激化することになる。これを解決していく基本的な方策は、一つは日本の企業(=工場)が海外に直接資本投下し、現地の人を使って現地で生産していくことであり、今一つは、内需の振興によって国内の消費を高めることである。前者の方向での取り組みは、それなりに海外とりわけアメリカでは評価され実績を上げつつあり、今世紀末にはわが国がアメリカを抜いて世界最大の債権国になるという見通しさえ出ているほどである。
一方の内需拡大への取り組みはどうであろうか。端的にいって、ほとんど実効の上がる施策はとられていないというのが実情である。わが国の場合、内需拡大の決め手が住宅建設であることは、この四〇年変わらないが、世帯数を上回る住宅数があるという量的な面での充足や、行革路線のもとでの公共事業の抑制ということもあって、ここ数年、新規住宅着工数は一一五万戸前後の水準で横ばいに終始している。
しかし、今わが国では対外不均衡の是正と内需拡大を図るために、居住空間の拡大と充実を政策の柱として断固実行すべきであると思う。その理由は、既に前段で述べた通り、生活の質的充実を目指す人々の物的基盤としての住居が整備されることによって、これまでの消費生活におけるバイアスが是正され、ふところの深い奥行きのある消費が期待されると思うからである。わが国の過剰貯蓄は、老後の生活不安に対する準備という側面もあるが、一方で、住宅投資に備えたものであることも間違いない。したがって、住宅減税を実施することによって、高貯蓄を国内での住宅投資に誘導していくことが必要である。とりわけ、本人の居住用住宅については、全額控除するくらいの思い切った住宅ローン利子控除制度の導入が望まれる。しかし、土地の供給増がないままに住宅投資刺激策をとれば、たちまちかつての地価高騰という悪夢の再現が懸念される。
大都市圏での新たな土地の供給に関する主要な方法は三つしかない。すなわち、高層化であり、国公有地の活用であり、市街地農地の放出である。前二者の方法に関しては、巨額の費用を必要とすることから、都市の将来ビジョンとの関連で慎重で息の長い取り組みが求められよう。最も緊急で、しかも効果の大きな方法は、形だけの営農で実態は資産の安上がりの保全になっている市街地内の農地を放出させていくことであると思われる。 「営農の意思あり」となれば、明らかに値上がり待ちの農地でも宅地の数十分の一の固定資産税しか負担しなくてすむ現行税制を思いきって変更し、土地利用税として周辺の宅地や商業地並みの税金を取るのである。本当に農業をやりたい人は、市街地内の高い農地を売って、より広い農業に適した環境の土地を購入するか、そこでとどまって高い税金を負担しうるだけの高付加価値農業を営めばよい。このような施策の展開によって狭い国土の有効利用が可能となり、土地の価格に応じた土地の利用が進むことによって産業の高度化も促進されることになる。
市街地内の土地が上昇したのは、人々が汗水たらして働いた中から納められた税金が公共事業として投下され、各種の社会的なインフラストラクチャーが整備されたからであり、そのことによって可能となった利便性を享受することによって人々や産業の高密度な活動が可能となり、新たな付加価値を実現できたからである。いわば社会的に形成された富が、土地値上がりというメカニズムを通して市街地内の農地所有者に還元され、富の形成に主体的に参加した多くの市民にとっては、宅地の値上がりによって高い土地や住宅を買わされるというデメリットとなってはね返ってきたのである。
最初に述べたように、今後、自由時間の増大のもとでスペースに対する人々の欲求が顕在化するにつれ、住宅問題(すなわち、土地問題でもある)が再びクローズアップされることになる。成熟化が進み、豊かさの中で表面的な安定志向の強まるわが国が抱える唯一の火薬庫が、この住宅・土地問題であることは間違いないところであろう。しかも、これまで、土地・住宅に関して大多数の人々は徹底して弱い立場に立たされてきており、人々の間にはある種の怨念さえ充満している。二十一世紀に向けて国内での最大の政策課題がこの住宅・土地問題になるのであり、これをやり遂げることのできない政治は、たちまちのうちに国民の支持を失うことになるだろう。
住宅減税と市街地内農地放出策を実施することによって、わが国の潜在的な住宅建設に一気に火がつくものと思われる。世界有数の経済力・技術力をもって今なお国民に充足感の与えられない唯一の分野が住宅だからである。住宅建設の刺激は建設業界を活性化するだけではない。一方で、木材・鉄・セメントなどの基礎資材への需要を高め、重厚長大型産業を潤おすとともに、他方で省エネ型住宅、防犯型住宅、健康基地としての住宅、情報機器の端末の組み込まれた住宅など、新たに生じつつある住宅へのニーズは新素材、エレクトロニクスなど先端技術分野の企業にも新たなビジネスチャンスをもたらすだろう。もちろん、家具やインテリア業界、高級専門店などでの売り上げも飛躍的に伸びるだろう。
また、住宅の質的向上や居住水準の改良を願う人々のニーズが満たされてくると、次のニーズは、住宅をとりまく周囲のコミュニティの居住環境の改善に向かうことになる。公園などの緑地空間の整備、集会施設や図書館などのコミュニティ施設、安全な道路、災害に強い街づくりなど、居住環境のアメニティ向上のためのニーズを満たすための様々な欲求が出てくるだろう。ニーズのあるところには必ずそれに応えようとする新しい事業が出現するから、二十一世紀に入ってもわが国の産業社会の活力は推持されることになる。このように、住宅建設の拡大は、極めて広い範囲に波及効果をもたらす重要な施策なのであり、国際社会の中で日本が孤児にならないためにも避けて通ることのできない道なのである。