第V章 ニューイノベーションの時代

1 機会開発時代のニューイノベーション

◆託児所チェーンの可能性

現在わが国は、エレクトロニクス、バイオテクノロジー、新素材を中心とする先端技術革新や、情報・通信革命など急速なイノベーションの真っただ中にある。このようなハイテク社会にあって、いかなる業種のいかなる企業においても未来への永続のためのコストとして、他社を差別化する広義のR&D(研究開発)力を強化する必要に迫られている。ここていう広義のR&D力とは、シュンペータ−的な意味での「革新(イノベーション)」を指している。シュンペーターは、イノベーションを要素の新結合と考え、次の五つのケースをあげている。

  1. (1)新しい財貨や新しい品質の財貨の生産
  2. (2)新しい生産方法の導入
  3. (3)新しい販路の開拓
  4. (4)原料や半製品の新しい供給源の獲得
  5. (5)新しい組織の実現

このように、企業におけるイノベーションは、メーカー企業の「技術開発」を軸とした狭い範囲の研究開発にとどまるものではなく、新事業、新製品の開発のための研究、新しい市場開発、新しい流通戦略など同業他社との「差別化」を工夫する斬新な経営ノウハウを含む広範囲なものだといってよいだろう。

ここで、今後の機会開発時代における新規事業開発に関するイノベーションの例を紹介しよう。それは、中小零細工場を顧客として組織化した“託児所チェーン”展開の事例である。現在、団塊の世代のジュニアは既に小学校に入っており、人口のボリュームゾーンの通り過ぎた幼稚園や託児所ビジネスは斜陽産業になっている。特定のエリアの中で、固定的に拠点を構えて“営業”しているのであるから、域内に顧客(この場合乳幼児)が少なくなれば当然経営は苦しくなるのである。

それでは、中小零細工場を対象とした託児所チェーンはなぜ成長産業になりうるのだろうか。次にその“からくり”について説明しよう。ここ数年、家電やエレクトロニクスメーカーなどの下請工場では好況下で人手不足に悩んでいる。人件費の安くつく主婦のパート労働者を集めなければならないが、乳幼児や子供を抱えた主婦に働いてもらうためには、工場内に保育施設を必要とする。しかし、高地価のもとで自前で用地を確保し、保育所を設置することは並大抵のことではない。一方、主婦の側では、“家に閉じ込もっているだけでは社会からとり残されたような気がするし、何とか仕事をもって社会参加したい。そうすれば少しでもローンの返済が楽になるし、洋服の一つも買えるようになる”といった強いニーズが存在する。このような供給側(主婦)と需要側(工場)のニーズを合致させるのが、託児所チェーンの展開なのである。すなわち、一社だけでは保有することの困難な託児所を、工業団地内や比較的近い範囲内にある複数の会社を組織化し、適当な場所(スペースに余裕のある工場内か、あるいは各社から等距離にあるような地点で敷地を借りる)に設置していくのである。子供を預かってもらえれば働きたいという強いニーズをもった主婦は、一時間程度の通動時間帯の範囲内であれば喜んで通ってくるだろう。一方、工場側は、他の労働条件さえ他社なみであれば、託児所付きということで有利にパート主婦を集めうることになる。

託児所を経営する主体の側では、一定地域の中にこのような託児所を増やし、チェーン展開を図ることによって、スクールバスの効率的運行、教材や食材の調達コストの減少など、既存の幼稚園・託児所に比べ有利に経営を展開していけることになる。保母さんの採用に関しても、短大卒業生の中では栄養士と並んで保母資格をもった女性が多く、しかも相対的に勤務先が少ない職種であることから、真面目で教育熱心な人をいくらでも採用できるであろう。既にアメリカで先行し、ビッグビジネスになっている託児所チェーン大手のキンダー・ケアー・ラーニングセンターあたりと提携し、教育カリキュラムや施設運営に関する様々なノウハウを吸収し、わが国固有の事情に合わせて経営を展開していけば、数百億円オーダーの売り上げを達成するビジネスに育てあげることもあながち不可能ではないといえよう。

この事業アイディアは、八四年ニュービジネスの視察でアメリカに行き、オーランドにあるエプコット・センターの中で同センターに働く主婦の人たちが連れてきた乳幼児を預かる施設を見学した時発想したもので、ここで述べたような形でビジネスを展開しているケースはわが国ではまだ見られない。事業の成立可能性に関してはさらに綿密な調査を必要とするが、直観的にはかなり可能性の高いビジネスであると思われる。このケースは、座してお客(乳幼児)を待っている従来の幼稚園や託児所に対し、お客(乳幼児を連れたパートの主婦)が自ら集まってくる仕組みをシステム化するところに新しいイノベーションがあるのであり、シュンペーターの掲げた五つのケースの中では(5)の新しい組織(仕組み)の実現に相当するといってよいだろう。

◆知恵が生み出すニューイノベーション

イノベーションやR&Dというと、すぐに画期的な新製品の開発や発明・発見といったハードの世界の話だと思われがちであるが、例に示した託児所チェーンのようなサービス分野における新しい仕組みをもったビジネスも、立派なイノベーションなのである。もちろん、このビジネスにおいても、将来、各託児所をパソコンネットワークで結び、最新の教育学や児童心理学の成果を取り入れたCAI(Computer Aided Instraction)システムを開発し、それを用いて幼児教育を行う可能性も強く、決してハードのイノベーションと無縁であるわけではない。むしろ、これからの機会開発産業分野では、人々のニーズを巧みに充足していくソフト面での新しいシステム(仕組み)の中に、情報技術などハード面におけるハイテクの成果をドッキングさせていくタイプのイノベーションが増加してくるように思われる。

そのような例として、今度はハードとソフトが一体となった新商品開発の例を紹介しよう。それは、歴史探索支援のためのCAIシステムである。人は年をとると、自分のルーツや郷土の歴史を知りたいという強い欲求をもつようになる。明治以降のことであれば、歴史的な知識も多少はあるし、文献も何とか読めるが、時代が古くなればなるほど文献解読のための専門的技術や知識が要求され、素人ではどうにもならなくなる。大学で日本史を専攻し、ゼミで中世や近世の特殊な文字を判読する訓練でも受けないと、おいそれとは読めないのが古文書という代物なのである。歴史への取り組みは、圧倒的にあり余る自由時間を消費していく活動としては最も適したものであり、安価で適切なシステムさえ準備できればニーズは極めて強い分野と思われる。

そこで考えられるのが、古文書の読み取り装置のシステムを開発することである。我々にはとても判じ物としか思えない文字をパターン認識で読み取り、現代文字として出力してくれるような装置を作るのである。一方、出力された文章を理解するためには、人工知能を用いた専門家システム(エキスパート・システム)を用意しなくてはならない。古代、中世、近世といった適当な時代の区分ごとに、各々の時代における様々な出来事や人々の生活様式、特定エリアにおける地名、人名、地図などの事柄を覚えさせておいて、パソコンの前に座った“にわか郷土史家”の質問に答えていくことのできるシステムを作るのである。このようなシステムはまだ現実に商品化されていないが、私はハードとソフトの高度に一体化したこのタイプの商品が、機会開発産業時代のイノベーションの典型的な姿になるのではないかと考えている。

このシステムを実現していくためには、安価で性能の良いパターン認識の技術開発やAI(Artificial Inteligence=人工知能)に関する研究も必要であり、一方で歴史学や地理学など人文科学の最新の成果に支えられた、卓越したガイダンス機能をもつエキスパートシステムの開発も求められる。ハード・ソフト両面で、極めて創造的な挑戦が欠かせない領域のビジネスなのである。だからといって、このような領域のイノベーションは必ずしも大企業の専売特許であるわけではない。むしろ、特定分野でのパターン認識やAIの開発に焦点を絞っている研究開発型のベンチャーや、教育分野のシステム開発の得意なシンクタンク型ベンチャーなど、多様な小企業の連合の中から人々の機会開発に応える新しいビジネスが創出される可能性が高いように思われる。

機会開発産業のように、人々の知性や感性に応えていくために絶対水準において際立ったレベルの求められる分野では、何よりもまず人々の知恵が問われることから、相対的に資本の制約が小さくなってくる。卓越したコンセプトの商品・サービスを構築することさえできれば、金を貸してくれる投資家はたくさん存在するし、具体的にモノをつくることが必要な場合には、OEM(相手先ブランドによる生産)専門企業や、町中が高度な加工技術集団である長野県の坂城町のようなモノづくりのプロフェッショナルに頼むことが可能だからである。

とりわけ、知恵(ソフト)をハードに転化していく上でポイントとなる集積回路がさらに超高密度化し、急速にコストを下げていくことから、機会開発分野でのハード・ソフト一体型の新商品開発においては、ますますソフトとしての知恵のほうが重要になってくる。モノに関わる商品づくりにおいて“生産者”として参入する上でこれほど垣根の低い時代は、恐らく有史以来なかったといってよいであろう。極端なことをいうと、中学生以上の知識と能力をもった人なら誰でも商品開発に取り組めるのが、これからの時代の特徴なのである。現に私の知っているある大学生(彼は理工系ではなく、法学部の学生である)は、市販されている二〇万円以上もするシンセサイザーより高機能なタイプのものを、友達数人と集まってわずか四万円で製作している。このような例は枚挙にいとまがないほどたくさんある。

莫大な研究開発投資を必要とするブレークスルー型の基本的な研究開発に関しては、確かに体力・知力ともに併せもった大企業でなければとても手が出せない。しかし、機会開発産業におけるニューイノベーションは、基本的には応用分野に属するものが多く、様々な領域でなし遂げられたR&Dの成果を巧みに活用し、人々の機会開発の試みを支援する商品やサービスを生み出すことである。そこで何よりも必要となるのは、人々の生活に関する深い洞察であり、そこからより良い生活の提案に結びつく新しいコンセプトの商品・サービスを生み出していくことが重要となる。その意味で、これからの時代のイノベーションは一部の人たちの独占によって成立するものではなく、生活の質的充実を願うあらゆる人々がイノベーターとしての資格をもっているのである。そして、そのことが、「ニューイノベーションの時代」といわれるゆえんなのである。


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